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南アフリカのオランダ改革派教会の牧師。南アフリカに牧師の子として生まれ、イギリスとオランダに学び、20歳のとき牧師に任命される。帰国後牧師のいない数千の多国移住民の牧師として巡回する。1860年、内陸のウースター教会にて奉仕している頃から霊的書物を書き始める。それからケープタウン教会、ウェリントン教会と歴任し、1906年、辞任してから残る生涯をケズィック、ノースフィールド聖会やアメリカ、カナダ、イギリス、南アフリカなどの伝道大会の説教者として活躍。 マーレーの魂に対する深い思いから生まれた多くの説教は、今も多くのクリスチャンに読み継がれている。(『内なる生活』裏表紙の紹介文より) |
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@『神を待ち望め』(アンドリュー・マーレー著/小出忍訳/いのちのことば社/\880) これは「第一日」から「第31日」まで章が分かれた、デボーション用のテキスト、つまり毎日の黙想のために書かれた本です。神とは何か、それに対して人間とは何か、そしてその両者のあるべき関係とは何か、など非常に奥深いエッセンスがつまった本です。 A『内なる生活〜密室の祈り』(原題:The Inner Life by Andrew Murray) アンドリュー・マーレー著/中武二良訳/いのちのことば社・\1650 これも祈りについて書かれた本です。マーレーの著作のほとんどが祈りについて書かれていると言っていいほどです。信仰生活の中心とは祈りに他ならないことを思えば、マーレーの著作は本当に大切な本だといえます。 その他、以下のような本が出ています。 B『祈りの生活』\1500 C『謙遜』¥950 D『絶えず祈りなさい』¥500 E『とりなしの祈り』\1600 以上はいのちのことば社 F『マーレーの信仰入門』\1240/CLC出版 |
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マーレーの著作の中心的な思想は、「祈り」にあります。なぜ祈りがそんなに大切か。それは信仰に基づく人間観からきています。神は創造主、人間は被造物。そして創造主のあるべき位地とは、「被造物のすべての必要に対して瞬時もとだえることなく供給する供給者の位地こそ、神の立つべき場所、また本性」であり、したがって人間のあるべき位地とは、「神を待ち望んで、神だけが与えることができるものを神から受けるということ」なのです。 前回紹介したマリア福音姉妹会が徹底して貫いていた姿勢も、まさにこの「供給者である創造主を待ち望むこと」であるといえます。そしていずれ紹介する予定のスウェーデンボルグの人間観も、「器としての人間、満たすもの(流入者)としての神」ということで、全く一致しています。そして人間が神と交わる、すなわち神からの供給を受ける唯一の手段が「祈り」ですから、祈りとは信仰者にとってまさにライフラインともいうべき大切なことだということになります。「日々、ひと足ごとに、私たちは天からの補給を必要とします。したがって、私たちに最も大切なことは、神に対するより頼みと、信頼の精神を養うことで、必要とする恵みと力を与えられるのでなければ、勝手に足を踏み出すということのないようにしなければなりません」 信仰者が陥りやすい罠が、「おのれの善、おのれの熱心さ」ということです。つまり自分自身に何かよいものが起因するかのように思いこんで、神からの供給を待つことなしに、勝手に善行と思われることに走り回り、自らが枯渇していることも、従ってその「善行」にも命が入らず、見せかけの善となってしまうことです。 マーレーが教える祈りとは、本のタイトル通り、「神を待ち望む」祈りのことです。こうしてほしい、ああしてほしいという自分の願い事でいっぱいになっている祈りは、神を待ち望むということではありません。神を待ち望む祈りとは、「ただ神の前に静まりなさい。・・・祈りのさなかに、しばしば沈黙の時を持ちなさい。うやうやしく魂を沈黙させ、あなた自身を神に明け渡してしまいなさい。その時こそ、神はあなたを教え、また助けることがおできになるのです」というものです。 |
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アンドリュー・マーレーは高校生のとき、教会の先生に薦められて買いました。キリスト教関係の本はたくさん出ていますが、学術的な本(つまり信仰を学問的対象にしてしまったもの)や多くの人に受け入れられるよう意識的に妥協した(俗っぽい)本が多く、本当によい本に出会うのはまれです。この本は上の紹介文にもあったようにまさに「霊的な書物」というべきもので、その内容の奥深さは本当に、19世紀に生きた人の本が現代もなお新鮮な驚きを与え、読み継がれているのも当然という感じです。私も『神を待ち望め』を手にとって読んだときは、これはすぐに「一生本」だと感じました。 実は、この「精神世界2めぐり」を書くために、マーレーの本を少し読み返しました。それだけでも、この企画をたてた甲斐があったと思いました。(笑)嫁にきて、自分の属する教会から離れ、信仰面でいろいろと心細いことはあるのだけど、やはりどこにいても、祈りにおいて神と交われるのだということは素晴らしいと思います。学生の頃や教員になって数年間は、毎日一生懸命祈りの時間を守っていて、朝晩祈らずにすますなんてことは非常に恐ろしいことだと思っていたのだけど、教員5年目に、複雑な家庭の事情で家出してきたクラスの女生徒と同居することになって(半年ほどですが)、その時からプライベートというものがなくなって、祈りの時間を持つことが難しくなってしまいました。 そんなことも教員をやめた一因でもあるんだけど(つまり公私の区別がなくなってしまう仕事ということ)、いったん崩れた習慣を立て直すことは難しく、結婚した現在ではあの頃からすれば考えられないような暮らしをしています(^^; 祈りの大切さはわかっているのだけど。この本を読み返し、内容をまとめたことをきっかけに、今日から5分でも10分でも、「神を待ち望む」ことを再開したいな〜、としみじみ思ったことでした(^^; |
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