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・宇宙体験は内面的な変化をもたらす 宇宙飛行は宇宙飛行士にとってテクニカルな体験であると同時に内的体験でもあった。 ・・・旧ソ連とアメリカが宇宙開発技術合戦をしていた頃、NASAの宇宙飛行士に選ばれたのはもっぱら技術系の人間たちであり、哲学者や詩人はいなかった。というのも、もし詩人や哲学者を宇宙飛行士にしていたら、宇宙船は月にたどりつけなかっただろうし、また地球に生還できなかっただろうから。 しかし、詩人や思想家は採用されなかったけれど、詩人になった宇宙飛行士はいる。画家になった宇宙飛行士もいる。宗教家・思想家になった者もいれば、政治家になった者もいる。平和部隊に入った者も、環境問題に取り組みはじめた者もいる。・・・ 「宇宙体験をすると、前と同じ人間ではありえない」(シュワイカート・アポロ9号)というのである。例えば、月に行った24人のうち月着陸船の6人のパイロットでは、バズ・オルドリンは精神に異常をきたし、アル・ビーンは絵描きになり、エド・ミッチェルはESP能力(超能力)研究家になり、アーウィンとチャーリー・デュークは伝道家に、そしてハリソン・シュミットは上院議員になった。宇宙飛行士の中では最も世俗的人間といわれるアル・シェパード(マーキュリー3号、アポロ14号)ですら、「行く前は腐った畜生野郎(a rotten son of bitch)だったが、今はただの畜生野郎(just a son of bitch)になった」と言っている。 宇宙体験のインパクトは、 何人かの宇宙飛行士の人生を根底から変えてしまうほど大きなものがあった。宇宙体験のどこが、なぜ、それほど大きなインパクトを与えたのか。宇宙体験は人間の意識をどう変えるのだろうか。・宇宙体験は視野を広げる 宇宙体験とは、そんなに特別なものなのだろうか。何人かの宇宙飛行士たちの言葉を引用してみよう。 「人間のものの見方というのは、すべて経験の産物だ。小さな経験しかない人間は考え方も狭い。・・小さな子供のとき、あなたの全宇宙は家の中だけだ。やがて家の外、隣の町、州、国までいけばもっと広がる。世界の広がりが世界を見る見方を広げる。我々宇宙飛行士は、地球の外から地球を見るという体験をもった。それはその人間のものの見方を変えずにはおかない体験だ」(ジョン・スワイガート/アポロ13号) 「世の中に対して、自分の存在を証明してやろうなどと思わなくなり、自分のエネルギーを外に向けるより、内に向けるようになった。家庭、家族、自分の内的精神状態とか、そういうものを第一義的に考えるようになった」(ドン・アイズリ/アポロ7号) 「絵画を見るときでも、鼻がぶつかるくらいの距離から見ようとしたら、何も見えない。巨大なパターンであればあるほど、より遠くから見ないとパターンが見えてこない。私が宇宙に出るようになってやっと見えるようになったパターンがあったということだ」(ジェリー・カー/スカイラブ4号) ・宇宙飛行士たちの神秘体験 宇宙体験が特別なのは、何もただ地球を外から眺めたから、というだけではない。うち何人かはいわゆる「神秘体験」と呼ばれるものを体験している。 それは神の臨在を確信した、神の顔に触れた、という宗教的神秘体験から、これまでの人生で悩んでいた哲学的命題などの答え(私という人間がここに存在しているのはなぜか、私という存在には意味があるのか、我々はこれからどこへ行こうとしているのか、など)が一瞬にしてわかった(真理を一瞬にして把握した)という体験、さらに宇宙ではお互いの考えていることが言葉を通さずともわかったという体験を、それぞれ複数の宇宙飛行士がもっているのである。 そしてそうした体験は彼らの話を聞いたものが想像力によって追体験できるような性質のものではなく、 人間の想像力をはるかに超えた、実体験した人のみがそれについて語りうる体験であると、宇宙飛行士達は口をそろえて強調する。ある飛行士はこう表現した。「神秘的宗教体験に特徴的なのは、そこにいつも宇宙感覚(cosmic sense)があるということだ。だから、宇宙はその体験をもつためには最良の場所なのだ。歴史上の偉大な精神的先覚者たちはこの地上にいて宇宙感覚を持つことができた。これは凡人にはなかなかできることではない。しかし宇宙では凡人でも宇宙感覚をもつことができる。なにしろそこが宇宙だからだ。・・・ 歴史上の賢者たちが精神的知的修練を経てやっと獲得できた感覚を、我々は宇宙空間に出るという行為を通して容易に獲得できたのだ。・・・ジャーナリスト立花隆は、1981年の8月から9月にかけてアメリカ各地を回り、さまざまな生活をしている元宇宙飛行士たち12人に取材してレポートにまとめ、一冊の本『宇宙からの帰還』を出版した。 かれらのインタビューから共通して言えることは、 すべての人がより広い視野のもとに世界を見るようになり、新しいビジョンを獲得したということになる。そして彼らは宇宙体験について語ることは宇宙飛行士だった人間の責務であるとすら考えているのである。170万年の間、地球から一歩も出ることなく育ち、その意識の底の底まで「地球」という限られた空間でしか通用しないローカルな考え方をしみこませてしまった私たち人類は、宇宙という新しい物理的空間に進出することによって、人間の意識がこれまで知らなかった新しい精神的空間を手に入れたようである。宇宙飛行士たちの体験はどんなメッセージを投げかけてくれるのだろうか。 (主に立花隆著『宇宙からの帰還』からの引用、抜粋。以下同じ) |
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ここで断っておきますが、宇宙飛行士たちが一人残らず内面的変化を遂げたわけではありません。劇的な内面的変化を受けた飛行士たちは、必ず、わずかでも時間的余裕があり、思索する時間を持った者たちとなっています。 にも関わらず、どの宇宙飛行士たちにも最も大きなショックを与えたのが、地球のたとえようもない美しさなのです。 「地球は青かった」というガガーリンの言葉はあまりに有名で、青い地球のカラー写真は子供でも知っています。ところが、宇宙飛行士たちは、写真では地球の美しさは絶対に伝わらないと言います。 この美しさは、宇宙飛行士たちが置かれている状況・・・もし宇宙船の壁に穴が空いたら、また宇宙服が破れたら、たちまち血液が沸騰して破裂死する運命にあり、生命を脅かす紫外線、太陽風、放射線、素粒子が飛び交う、生命にとってあまりに過酷な暗黒の砂漠、宇宙空間にいるという状況と切り離すことができないようです。 「地球は宇宙のオアシスだ」(ジーン・サーナン/ジェミニ9号、アポロ10号、17号)という言葉は、宇宙飛行士たちの心情を代表しています。宇宙船と、遠くに小さく見える地球。その両者を取り巻くすべては生命のかけらもない死の空間という状況で、自分と地球を結ぶ、切っても切れない生命という紐帯の大切さを思い知るのです。あそこに帰れなければ自分は死ぬしかない。地球の青さは大気と水の生命圏、すなわちそれは宇宙の中で唯一の、生命にとってのよりどころなのでした。 ジム・ギブスン(スカイラブ4号)は宇宙遊泳中、手違いでしばらくぽかんと浮いていなければならないとい体験をします。それは全身ぞっとするような気味の悪さだったといいます。 「この地球を失って宇宙空間に放り出されてしまったら、人間にとって宇宙とはこの気味の悪さしか残らない存在なのだ。そう考えるとこの地球という星が人間にとっていかに大切でユニークな存在かということがよくわかる。地球という住処を宇宙の中で人間がもっていることの幸せを感じた」 「宇宙の暗黒の中の小さな青い宝石。それが地球だ。地球の美しさは、そこに、そこだけに、生命があることからくるのだろう。」(ジム・アーウィン/アポロ15号) その、地球の暖かみを帯びたあまりの美しさは生涯忘れられないほどだと宇宙飛行士たちは口をそろえて言います。そしてその感動はそれぞれの個性に応じて内面的変化をももたらすのです。 以下に、いくつかの共通項をあげてみます。 |
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・神について 「これは特筆すべきことだと思うんだが、宇宙体験の結果、無神論者になったという人間はひとりもいないんだよ」(エド・ギブスン) 国民的英雄でもあった初期の宇宙飛行士たちは全員、キリスト教国アメリカの国民感情を汲んでクリスチャンであることが前提となっていましたが、実際はただ教会に通うだけの者や懐疑的な者、信仰を持たない者も含まれていました。しかし体験後は、神を信じるようになったり、信仰熱心になったりする者が何人か出てきます。それは上述の、死と暗黒の宇宙の中にあまりに美しく浮かんでいる地球を目の当たりにして感動したことと関係が深いようです。 「・・・かくも無力で弱い存在が宇宙の中で生きているということ。これこそ神の恩寵だということが何の説明もなしに実感できるのだ。神の恩寵なしには我々の存在そのものがありえないということが疑問の余地なくわかるのだ。宇宙飛行まで・・・人並みの懐疑もあった。神の存在そのものを疑うこともあった。しかし、宇宙から地球を見ることを通して得られた洞察の前にはあらゆる懐疑が吹き飛んでしまった。・・・正直言って、私は自分で驚いていた」(ジム・アーウィン/アポロ15号) 「体験で得たもので一番大きかったのが神の認識だ。宇宙から地球を見るとき、そのあまりの美しさにうたれる。こんな美しいものが、偶然の産物として生まれるはずがない。ある日あるとき、偶然ぶつかった素粒子と素粒子が結合して、偶然こういうものができたなどということは、絶対に信じられない。地球はそれほど美しい。何らの目的なしに、何らの意志なしに、偶然のみによってこれほど美しいものが形成されるということはあり得ない。そんなことは論理的にありえないということが、宇宙から地球を見たときに確信となる。」(ジーン・サーナン) 「私の場合も、インパクトは宗教的なものだった。宇宙は実に美しく、見事に調和している。偶然にこんなものができたはずはないと思う。何か宇宙をかくのごとくあらしめたある存在、ある力があるに違いないと思う。ではそれは何なのかと問われると、答えようがない。定義の下しようがない。」(エド・ギブスン) 「宇宙の本質は、物質ではなく霊的知性なのだ。この本質が神だ」(エド・ミッチェル) ・・・などなど、世界は有意味であること、自分も宇宙も偶然の産物ではありえないこと、個別の存在は全体の部分であり、全体は一体であり、それは完璧で、秩序づけられており、調和しており、愛に満ちており、それは目的を持って進化しつづけている(エド・ミッチェル)などの結論を持つに至ることが共通項として挙げられます。もちろん、宇宙飛行前に各個人がこうした思考の傾向をもっていたと言えなくもないですが、宇宙体験のインパクトはそうした考えの断片を、確信に変えたのでした。これらは数人の者が持った「神と出会う」という神秘体験とはまた別の次元のものです。 ・普遍的な宗教へ 広い宇宙から小さな地球を見るという体験は、宇宙飛行士たちに共通して、 地球上のそれぞれの対立や違いはマイナーであるという感覚を呼び起こしたようです。「地球の表面にへばりついている人間は、結局、平面的にしか物事が見えていない。平面的に見ている限り、平面的な相違点がやたらに目に付く。・・・しかしその 違いと見えるすべてのものが、宇宙から見ると、全く目に入らない。マイナーな違いなんだよ。」(ドン・アイズリ)そしてそれは宗教的な対立や教派についても同様の効果をもたらします。「神の名は宗教によって違う。キリスト教、イスラム教、仏教、神道、みな違う名を神にあてている。しかし、名前がどうあれ、それが指し示しているある同一の至高の存在がある。それが存在するということだ。宗教はすべて人間が作った。だから神に違う名前がつけられた。名前は違うが、同じ対象なのだ。・・どの宗教の神が上位ということではない。私はどの宗教も基本的にはよきものと思っている。」(シーン・サーナン)彼はもともとカトリックですが、こうした正統的な教義とは外れる考えを持つに至るのでした。 「宇宙体験は私の信仰を強めてくれた。いや、広げてくれたと言った方がいい。以前はファンダメンタリスト(聖書の言葉を文字通り厳格に受け取る派)のそれで偏狭だったが、体験以降は伝統的教義にあまりこだわらないようになった。はっきり言えば、他の宗教の神も認めるという立場だ。」(ジェリー・カー) 「宇宙で私が感じたのは、宗教の細かな教義なぞどうでもいいじゃないかということだった。目の前に宇宙は美しくある。それだけで十分じゃないか。・・・各宗教の違いにあまり重きを置いていない。結局、既成宗教は、同じ宗教心の別の表現だと思う。根にあるものは同じで、表現形態が違うだけだ」(エド・ギブスン) |
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「米ソ両国の指導者を早くロケットにのせて、宇宙から地球を見させるべきだ。そうすれば、世界ももっと平和になるだろう」 これも宇宙飛行士の言葉です。 かれらは宇宙飛行体験後、例外なく、国家や民族の対立をばかばかしいことという認識をもって帰ってきます。それは宇宙から地球を見ると、違いよりも同じもの同士という意識が強まり、どこにも見えない国境などというものはすべて人為的なものだという考えを持つに至るからです。 「宇宙からは、マイナーなものは見えず、本質が見える。表面的な違いはみんな消し飛んで同じものに見える。相違は現象で、本質は同一性である。人間も、種族、民族は違うかもしれないが、同じホモ・サピエンスに属するものではないかと感じる。対立、抗争というのは、すべて何らかの違いを前提としたもので、同じものの間には争いがないはずだ。 同じだという認識が足りないから争いが起こる」(ドン・アイズリ)「宇宙から見ると国境なんてどこにもない。国境なんてものは、人間が政治的理由だけで勝手に作り出しただけの、もともとは存在しないものなのだ。宇宙から自然のままの地球を見ていると、国境というものがいかに不自然で人為的なものであるかがよくわかる。それなのに、それをはさんで、民族同士が対立しあい、戦火を交え、殺し合う。これは悲しくバカげたことだ。私は軍人として生きてきた人間だから、どの戦争においても政治的歴史的理由があることも・・・わかっている。しかしなお、宇宙からこの美しい地球を眺めていると、そこで地球人同士が相争い、相戦っているということが、なんとも悲しいことに思えてくるのだ。どんなに戦っても、お互いこの地球の外に出ていくことはできない。この地球以外、我々には住むところがないんだ。それなのに・・」(ウォーリー・シラー)彼は肉眼で、ベトナム戦争の戦火を見た経験をしている。それはベトナム上空でパチパチ火花のように光っていたといいます。 |
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地球の美しさに感動した宇宙飛行士たちは、環境問題意識を高めて帰ってくる傾向にあります。 「宇宙飛行士みんなが言うことだが、宇宙から見る地球はほんとに美しい。しかし同時に、それが汚されつつあるというのも本当なのだ。人間の肉眼でそれがわかる。特に私は6年間に3回宇宙から地球の姿を見てきたからその変化がわかる。特に大気汚染、水汚染の状況がわかる。世界的に有名な大気汚染は肉眼で観察できた。それは実に悲しい眺めだ。地球全体が美しすぎるほど美しいだけに、そういうシミのような部分の存在を目にすると、ほんとに悲しくなる。 特に悲しかったのは上海だ。62年の上海は京都のように美しい街だった。しかし目に見えて空気が悪くなり、ついには有名大気汚染地域と変わらなくなってしまった。地球に戻ってくると、これから地球はどうなるんだろうと、ほんとに心配になってきた。我々はこの地球にいったいなんてことをしているんだと怒りの思いがこみ上げてきた」(ウォーリー・シラー) やがて、宇宙飛行士たちは宇宙に出ていった人間として、人類に対する義務感のようなものを感じるようにさえなります。 「人間という種に対する義務感を強く感じた。・・・この体験の価値は、人類に対して持ち帰って伝えるべき価値だ。・・人間はガイアの中で生きている生物であることを自覚して生きていかなければならない。ガイアにとって人間はなにものでもないが、人間はガイアなしでは生きられない。」(ラッセル・シュワイカート)ガイアとは、地球全体をひとつの有機体ととらえ、ただの「場」ではなく巨大生物ととらえて、他の生物はこの巨大生物に寄生している微小生物と考えるときの言葉です。 |
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ここに挙げたのは一部ですが、宇宙飛行士たちの証言を見ていくと、フィンドホーンの「神」が語っていたこと、スウェーデンボルグの思想、また「臨死体験」で体験者が語っていたこと、ひいてはニューエイジ的な考えとの共通点がいくつか見られます。 @神、アラー・絶対者、など、なんと呼ばれるにせよ、根源的生命はひとつであり、どの宗教も同じ根元から発生していること。 A神との一体感、神がすべてのものに内在すること。 Bスピリチュアル・ワンネス(世界のすべては一体であり、人間は物質的には個別な存在であるが、精神的レベルでは互いに結合されていること) C全体を有機体ととらえ、個人を役割を果たす一部と受け取る考え Dエゴからの離脱によりスピリチュアルな世界が見えてくる。意識の変化、視点の転換がカギであること。 E人類は進化していること。(宇宙は創造的進化の過程にある)。核による人類絶滅の危機にあるこの時代に、人間の意識はスピリチュアルに、より拡大する方向に進化していること。 |
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『宇宙からの帰還』(立花隆著・中公文庫・640円)ハードカバーもあり このページはこの本の内容をパンプキンの関心事にそってまとめたものです。「宇宙とは、地球とは、神とは、人間とはなにか。・・・宇宙飛行士の衝撃に満ちた内的体験を徹底したインタビューによって鮮やかに描き、知的興奮と劇的感動をよぶ壮大な精神のドラマ。」(裏表紙より) 以下は宇宙飛行士たちの書いたものです。 『大いなる一歩』(First on The Moon)N・アームストロング/M・コリンズ/E・オールドリン著)早川書房 『ジェミニよ永遠に』(V・G・グリソム著/早川書房) 『現代の太陽像』(E・G・ギブソン著/講談社) Michael Collins, "Carrying The Fire," Farrar Straus Giroux Michael Collins, "Flying To the Moon," Farrar Straus Giroux Walter Cunningham, "The All American Boys," Macmillan Publishing Co. "Buzz"Aldren, Jr.,"Return to Earth, " Random House James B. Irwin, "To Rule The Night," Spire Books "We Seven," by The Astronauts Themselves, Simon & Schuser. ただし、宇宙飛行士たちの内面的体験について取材したものや書かれたものは立花隆氏のものが最初であるため、上記の本にはおそらく宇宙生活やテクニカルな面でのことしか触れられていないと思われます。 |
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小心者のパンプキンは、なにか書類を失くしただけで目の前真っ暗になってしまいます。またけっこう心配性で、以前はそういう心配事ですぐ心がふさがってしまう傾向にありました。どうしたらそんなちっちゃいことでくよくよしなくなるのだろうかと、考えたことがあります。そのとき、私は、空想の中で、意識を宇宙にもちあげてみました。(笑)パンプキンの住む家が、街が、日本が、地球が小さくなってゆきます。太陽系も、銀河系も、遠のいていきます。そこまでくると、なあんだ、私の悩んでることなんて、この壮大な宇宙から見れば、なんでもないことなんだな、って思えて気が軽くなったことがありました。 もちろん、宇宙飛行士たちの体験した意識はこれとは全然違うのでしょうが、私たちって、いつも目の前のこと、学校のこと、会社のこと、そういうちっちゃいことで頭がいっぱいになっているけど、ふと意識を高くあげてみれば、たいしたことじゃないってことはけっこうあるんだと思います。最近は不況で、大企業の偉い人が自殺したりするニュースを聞くけど、彼らが自殺前に宇宙に連れてってもらえていたら、死ななくて済んだかもしれないと思ったりします。そういう意味では、近い将来可能になるであろう宇宙旅行も、案外いいものかもしれないな。立花隆さんも、このインタビューをしてからは、宇宙旅行がしたくて仕方がなくなったと書いていました。 でも、宇宙飛行士の言ったことを逆に言えば、宇宙に行けない私たちも、宗教や精神世界の中で、同じ様な内的体験(宇宙意識を味わう?)をすることができることになります。日常のちっちゃいことや、自分のエゴにまみれて、いらいらしたり絶望したり他人を裁いたりしているとき、そこから少し離れて自分の意識を高く挙げる時間を持てば、そして高いところからそういうちっちゃい自分を見れば、いろんなことが「なあんだ」って思えるのでしょう。 私たちは、特に日本人は、他人との共通点よりも違いに目がいきます。そして自分と違う考えや生活様式やセンスの持ち主とはなかなかうち解けられないものです。でも、もっと宇宙飛行士たちの語った言葉に習って、自分は狭い意味での「○○教徒」でもなく、日本人でもなく、ローカルな地球人でもなく、宇宙人として(なんか意味が違っちゃうけど、笑)誰をも同じ仲間として見ることができれば、フィンドホーンじゃないけど、違いを恐れる必要はなくなるんだろうな。いつもそんなことを意識していられたらいいなと思います。 |
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