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シスター・コンソラータ(イタリア)

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シスター・コンソラータ(1903〜1946)

愛の最も小さき道とは

愛の祈りの実践のために

参考図書up!

パンプキンの感想

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シスター・コンソラータ(1903〜1946)

・コンソラータの生涯

本名ピエリナ・ベトローネ。シスターコンソラータは修道名で、「慰め手」の意味がある。

イタリアのサルッツォ町でパン屋の娘として生まれる。幼い頃から祈りを好み、成長するにつれ修道生活への望みが強くなる。13歳のとき、イエスの「あなたは全く私のものになりたい?」という声を聞き、「はい」と答える。これは修道女になりたいという意味だった。しかし娘を手放したくない両親は猛烈に反対した。

やがてロザリオ会の役員となり、子供たちを教える。(日曜学校のようなもの)自己をいとわず周りの人を愛するピエリナは子供たちからも周囲の人からも愛された。

21歳の時、決意をして家族と別れ、サレジオ会に修道女として入会。しかし幾多の困難や試練にぶつかり、いったん家に帰る。3年後、再びカプチン会に入る。27歳で着衣し、コンソラータという修道名を与えられる。

20年の修道生活を送った後、病魔に冒されていたコンソラータは療養所に移る。イエスと同じように苦しむことがコンソラータの望みであったが、数々の言葉に言い尽くせぬ苦しみを経験した後、43歳の時モリオンド修道院でこの世を去る。

・イエスと日々対話したコンソラータ

コンソラータは日々イエスから語りかけられるという賜物を与えられ、その言葉をイエスの命令によって日記および指導司祭(ロレンツォ・サーレス師)への手紙に書き残した。師はこれらに基づいて1948年『イエズスの聖心の世界への福音』(副題:愛の最も小さい道、聖職者の持つべき大きな愛徳、シスター・コンソラータ)を著した。その内容の深さは驚くべきもので、本は宣伝しないにも関わらず、イタリアはもちろん世界各国に驚くべき早さで広がり、現在20カ国語以上に訳されている。その後師は『シスター・コンソラータ伝』を著した。

コンソラータは自分の書いたものによって人を感銘させようとか、よい印象を与えようという意図が全然なく、実際に考え、感じたことを直接そのまま書き表しており、その文面には透き通るように清い霊魂がよく表れている。

・最も小さい霊魂の会

1934年7月4日、イエスはコンソラータに「最も小さい霊魂の会」の存在を示したとされている。これは通常の会とは違い、コンソラータに示された道を自分も歩もうと感じたすべての人が、形式的な手続きなしにだれでも歩むことができるものである。この会員たちはお互いに知らず、地上で一度も会うことがなくとも、同じ道を歩むという霊的なきずなにしっかりと結ばれており、世界のために大いに活躍するというのである。最も小さい霊魂とは、幼子のような霊魂を持った者のことを指し、年齢的に幼い者のことではない。事実、最初の会員ヨハナ・コムペールは85歳の老女であった。イエスはこの「最も小さい霊魂の会」の会員はどんどん増えて数千万人となるであろうと語っている。(のべ人数)

(『シスター・コンソラータ』(ロレンツォ・サーレス著)より要約・抜粋)

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愛の最も小さき道とは

コンソラータの生涯、また彼女に語りかけたイエスのメッセージには、「愛の最も小さき道」とも言うべき道が示されています。それは言い換えれば「霊的幼児の道」でもあります。それはどのようなものなのか、ここにまとめてみます。

1)小さい霊魂を愛するイエス

霊的幼児の道とは、幼子のようにまったく神に信頼する道のことです。コンソラータは、なぜ自分が特別に、日々イエスから語りかけられるなどの賜物をもらうのか疑問に思いましたが、それにイエスが答えています。

「私の限りない慈愛に全く信頼して、すべてを任せてくれる一番弱い霊魂を見つけた。コンソラータ、それはあなただ。・・・私があなたに与えた大きな恵みは、あなたの徳に値するであろうか?かわいそうなコンソラータ、あなたは何も徳をもっていない。功績(いさおし)もない。・・・なぜ私はあなたに対して特別に、非常に多くの恵みを与えたのだろうか?・・・私は小さい霊魂が特に大好きなのだよ。

・・・あなたは大きな霊魂と小さい霊魂の相違に気づいただろうか。小さい霊魂は、その霊魂を飾る善徳を喜ぶ。なぜなら善徳を与えたのは神だから。一方、大きな霊魂は、善徳を得ようとして非常な努力をしたのであるから、傲慢のためになくしはせぬかと恐れるあまり、善徳を隠す。コンソラータわかりましたか。小さい霊魂にすべてを話す理由はそこなのだよ。小さい霊魂は、賞賛、名誉、光栄を全部私にだけ帰して、私から何も奪わないからね」

「何が私をあなたの霊魂にひきつけるかわかるだろうか。それはあなたが私に対してもっている盲目的な、子供のような信頼だ。私があふれる愛と優しさであなたに身をかがめるのはそのためだよ」

コンソラータは個人的な好みから肉体的な苦行をしたり、活動的な修道生活(外に出て積極的に奉仕活動をすること)をしたがりましたが、イエスはコンソラータの使命はそこにはないと言ってそれを許されませんでした。それは傲慢、虚栄心、自己満足が入り込む危険があるからです。霊的な幼児の道は、自分の弱さ、小ささを深く感じて、イエスにすべてを信頼することだったのです。そして必要な苦行とは精神的なもので、祈りを怠らぬこと、神と隣人を愛することを求めてゆくことなのでした。

2)いかなる困難にあっても神の愛を信ずること

霊的幼児の道は本質的に愛の生活です。それを実行するのにまず大切なのは、神の愛を信じ、希望することだといいます。それは全人類の行く末という漠然とした事柄だけでなく、個人の生活に起こってくるさまざまな困難にも、絶えず神の愛が働いていることを信じることでもあります。

ある日コンソラータの友人が、9歳の子供を長に4人の幼い子供たちを残して突然なくなりました。コンソラータが悲しんでいると、イエスはこう言いました。

「チェレステ・カンダ(亡くなった友人の名)は、今天国で永遠の至福を楽しんでいます。そして地上にいたときよりもはるかに優しく4人の子供達の霊魂を天からじっと見守っています。」

愛を信じるとは神が全人類と、ひとりひとりになされることはすべて私たちにとって最善のものであると信じることでもあります。幸福のときも逆境のときも、平和のときも嵐のときも・・・。

「神がなさることはすべて、時にかなって美しい」

3)聖化の道を歩むこと

聖化とは、カトリックなどの用語で、心の悪い部分が神によって作り替えられ、より愛深い人間になってゆくことです。これはすべてのクリスチャンが目指すべきものとされています。

コンソラータはもともと善良な気質でみなに愛されてはいましたが、人並みに欠点はありました。気が短くかっとなりやすい性質などです。修道生活になってから神は彼女を試練の道に置かれました。その試練とは、心の中に、悪い思いが次から次へと沸いてくることでした。

生まれつきのよい性質というものは、自分が苦しんで獲得したものではなく、神から心にそそがれたものにすぎません。人間の心が成長するためには、苦しみ悩みを通らねばならず、それこそが苦しみ悲しみというものがあるこの特殊な環境である地上に人間が生きることの価値であるのでした。コンソラータは「清さと愛」という心を持つことを熱心に願っていましたが、それは一朝一夕で得られるものではなく、長い忍耐強い心の闘いをする必要があったのです。

その闘いに勝つための最大の武器は祈りです。旧来はよく苦行のようなことが行われていました。しかしコンソラータに語ったイエスは、聖化に至る手段は苦行などではなく、愛によって神と一致することであると語っています。

「もしあなたが私のうちにあり、私たちが一致してひとつのものであれば、あなたは善い実をたくさん結び、強くなるだろう。あなたは大海の一滴の水のように消えてしまうから。私の沈黙はあなたの中に入り込み、私の謙遜、潔さ、慈愛、寛容、忍耐、苦しみへのかわき、どんな犠牲を払っても救いたいと望む救霊への熱心も、あなたのものになるだろう」

「・・・いつも私のうちに住みなさい。仕事のときも休憩のときも、・・・片時も私を離れないように!そうすれば多くの実を結ぶだろう。ペテロをごらん。ペテロは一晩中漁をしていたが、何もとることができなかった。それが私と一緒に網を下すやいなや、網が裂けそうなほど魚がとれた。もし決して一瞬間でも私から離れなければペテロと同じになる」

「私は、人々が愛の心から私に仕えてくれることを切望している。だから人々が罰を受けるのを恐れるがゆえに罪を避けることを望まない。私を愛すれば、もう罪を犯すこともなくなるだろう。本当に愛し合っているふたりが、お互いに相手を怒らせることがないように」

「あなたはただ私を愛することだけ考えなさい!他のすべては、最も細かい事柄まで私がよくしてあげよう」

4)絶え間ない愛の祈りの実行

常に神と一致するということは、実際には難しいことです。クリスチャンであれば、聖化、すなわち人間的に(霊的に)向上することを目指しているはずですが、実際は日常生活においていろいろな雑事に心がとらわれ、またさまざまな欲望にふさがれて、ちょうど聖書にある、いばらに落ちた種のように、実を結ばないままであることが多いのです。

イエスは、聖化に至るもっとも簡単な方法として、コンソラータに短くわかりやすい愛の祈りの言葉を絶えず唱えることを教えられました。その祈りの言葉とは、

イエズス、マリア、あなたを愛します!霊魂を救ってください!

というものです。

(カトリックでない人は「マリア」を付け加えることに抵抗があるかもしれません。この祈りは別の言葉で表現してもさしつかえないと書かれています)

聖書にも「絶えず祈りなさい」という言葉があります。イエスはコンソラータに、この祈りによって絶えずご自身に対する愛の心を起こすように求められたのです。こうすることで絶えず神を愛することができ、愛に反するあらゆる悪い思いを退けることができるのです。というのも、誰かを憎んだり、裁いたり、あるいは自分勝手な思いを抱きながら、この「愛の祈り」を唱えることは不可能だからです。それはまた、絶えざる自己放棄でもあるのです。

絶えず祈っていても、普通に日常生活を送り、自分の勤めや仕事を果たすこと、また会話することはできます。(詳しくは後述)それはただ口で唱えるものではなく、絶え間なく愛の心を起こすということだからです。

「絶え間ない愛の祈りで過ごした一日のほうを、あなたが果たしたどんな善行、またささげたあらゆる犠牲よりも好む。」

「もし善意に満ちた人が、私を愛し、生涯を唯一の絶え間ない愛にしたいと望み、起床の瞬間から眠るまで、心底から、それを実行するよう励んだならば、その霊魂のため、私は信じられぬほど偉大なことをするだろう。これを書いておきなさい。」

5)3つの慎み

絶え間なく神に対する愛の心を起こすには、心がふらふらと好き勝手な、自己愛からくる思いにふけることを避けようとつとめなければなりません。

「あなたは祈るとき、沈黙に包まれる必要を感じる。そのように、私と一致するには深い沈黙が精神の最奥の実存を支配する必要がある。どんなちょっとした騒がしさも祈りを妨げるように、あなたの気をそらすどんな些細なことも一致を妨げる。常に心を私にささげきっていることが必要である」

コンソラータは、完全にごイエスとの一致に達するため、三つの慎みを実行しようと生涯にわたって努めました。それは 1,考えの慎み 2,口の慎み 3,目の慎み です。具体的には、心を常に神を愛することに向け、それを散らすような無益な考えにとらわれないように気をつけることです。また無駄な言葉を口にしないようにし、そのためには話しかけられない限り話さないように気をつけ、ほほえみで応えること、さらに他人の事柄に対する不健全な興味を一切捨てるということでした。

「他の人のことがあなたになんの関係があろうか?あなたは私に従うことだけ考えなさい!」

「あなたが二つの仕事のうち、どちらを選ぶか迷ったときには、よりひとりでいられるほう、より沈黙を守れるほう、より愛することができるほうをいつも選びなさい。」

「コンソラータ、もしあなたが断固として、他のあらゆる考えを追い払い、きびしくあらゆることばを抑えれば、まざまざとイエスを体験するだろう!」

これは互いに全然かまわず助け合わないという意味ではなく、正しい世話に見えても、ときとしてその中に自己愛に満ちた好奇心、うぬぼれ、間違った世話好き、より大切な義務を怠る態度、牽制欲などが入りがちなので、他の人のことは神の導きにまかせ、まず第一に自分で神に対する完全な愛の道を歩まなければならないという意味だということです。

「私を愛することだけ励みなさい。そうすれば愛深い人になるよう、私がみてあげよう。」

6)信頼し、希望すること

より清い、より愛深き人格に作り替えられる道を歩む者は、ときとして自分のあまりに醜い部分や冷たい部分を知って失望したり、何度も同じ失敗を繰り返して自分で自分に嫌気がさしたりと、くじけそうになることがたびたびあります。しかしコンソラータに語ったイエスは、希望とは徳であって、愛と同じく希望は、どんなにあふれてもあふれすぎることはなく、多ければ多いほどよいと言っています。希望の欠如は、愛の神への侮辱ともなるのです。このことを語っているイエスの言葉は雄弁で、読んでいて励みになるものなので、ちょっと長いですが多めに引用します。

「コンソラータ、善良で信心深い霊魂すら、『私は救われるでしょうか』という疑いのことばをもらして、私の心を底の底まで傷めることがしばしばある。福音書を開き、私の言葉を読みなさい。・・・地獄へは、ほんとうに行きたい者だけが行くのだ。なぜならだれも私からひとつの霊魂も奪うことができないが、私の与えた自由意志により、霊魂は私からのがれ、私にそむき、私を否定し、自分の自由意志のままにサタンのもとに行けるからである。・・・私はあなたたちを地獄へ行くために創ったのではなく、天国へ行くため、永遠の愛の中で私と一致して楽しむために創ったのである。・・・地獄へ行くのではないかとあなたたちが恐れるのはなんと愚かなことだろう。・・・霊魂を永遠の災いに堕すのは犯した罪の多いためではない。悔い改めさえすれば、私はなにもかもゆるすのだから。」

信頼の不足は、自己愛の次に、神の働きの障害となる、と書かれています。多くの場合は、自分にあまり頼みすぎるために、神に信頼しないのです。反対に自分に寄り頼まない者は幼児のようです。それこそが霊的幼児の道なのです。

また、コンソラータは、自分の犯した罪についてくよくよしがちでしたが、イエスはくよくよすることを一度もゆるしませんでした。

「イエスよ、私はいつも同じです。お約束しては、すぐにまた・・・」

「私もまたいつも同じで変わらない。・・・もしなにか罪を犯したら、くよくよと悲しまずに、急いで来て、その罪をみな私の心の中に入れなさい。それからその罪の反対の善徳を実行する決心を強めなさい。しかし落ち着いて静かにやりなさい。そうすればあなたの罪のひとつひとつは、すべて、進歩の一歩一歩となるだろう。」

「決して不安に思ってはいけない。あなたが不安になれば悪魔が満足し、その勝利は確実となる」

「コンソラータ、次のふたつの霊魂のうち、どちらがより完全だろうか。一方の霊魂は私に向かっていつも『自分は不完全です』と嘆き声をあげるばかりで、重ねてあやまちばかり犯し、決心したことも忠実に守らない。もう一方の霊魂は私に嘆き声を聞かせるかわりにほほえみかけ、できる限りの力をあげて、いつも私を愛し続けることに没頭しているので、自分の意志から犯したのではない欠点をくよくよ考えて時間を損失することがない。」

「私はほんとにいつもあなたのためにおかあさんなのだよ。指にほんの少しかすり傷を受けるたびに、すぐおかあさんの所へとんで行き、ほうたいをしてもらう小さな子のまねをしなさい。ちょうどおかあさんがほんとうの傷でも、また想像によって傷のように思えるのでも、いつも指にほうたいをしてあげるように、私もあなたの欠点をいつも直してあげることをよく覚えなさい。もし本当に大けがをすれば、母はどんなに優しく、愛情深く、心配しながら包帯してやることだろう!そうです。私は黙っていても、転んだ時には同じことを霊魂にしてあげるのだよ。いいですか。だから、決して、決して、決して疑いの影さえもってはいけない!信頼の足りないことが一番私の心を傷つけ、苦しめる。」

「きょう、あなたの霊魂の空は、自然の空のように晴れて輝いている。だがまもなく愛と信頼に満ちた美しい空は、底知れない暗黒に閉ざされるだろう。コンソラータ、勇気を出しなさい!そのときこそは実りの多い試みの日だ・・・どんなに暗闇に取り囲まれても『イエス、あなたを信頼いたします!』という声で私を喜ばせてはくれまいか。」

7)すべての人のうちにイエスを見ること

神がひとりひとりに慈悲深く、限りない許し、愛を注いでおられるということは、すべての人に対してもそうだということです。イエスは、他人の罪を許しなさいということについて、このように語っています。

「実の母は、どんなにその子が醜くとも、醜いとは考えない。全くそれと同じで、どんなにその霊魂が醜く、汚れ、不潔であっても、私の愛はいつも美しいと感ずるのである。・・・あらゆるきびしい非難、罵倒、叱責がどんなに母としての私の心を傷つけるか、一方寛大、同情、あわれみがどんなに私の心を慰めるかを、今あなたは悟っただろうか?あなたは決して、一度も、だれをも、批判してはいけないし、まただれに対してもきびしいことばをかけてはいけない。・・・熱心な愛によって罪人のよい面だけを私に見せなさい。」

またイエスは、愛の祈りと同様、絶え間なく隣人愛を実行するように・・・すなわち、神への愛と隣人愛の機会をひとつも怠らないようにしなさい、と語っています。

「・・・すべての人のうちに私を見、思い、ことば、行いにようて私のように取り扱いなさい」

「すべての人に対して親切にしなさい。親切だけが心の中を支配しているように。あなたの死後、人々が、あなたのことを単に優しい人であった、ということを私は望みます」

「すべての人に「はい」といいなさい。常に、またにこにこしながら」

コンソラータは台所、畑、靴屋、秘書、看病、洗濯、掃除、生き物の世話など、昼も夜も身にかかってくる多くの仕事にほとんど押しつぶされそうでしたが、イエスはこう励ましました。

「コンソラータ、よくわかりましたか?人々があなたの時間をいろいろな仕事で利用することを許してあげなさい。・・・あなたは自分を忘れ、自分の都合を考えずに、上長や姉妹たちの手の中の従順な道具となり、彼らの思うままにいつでもどんな目的のためにも使われた方が完全である」

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愛の祈りの実践のために

この、多くの実りをもたらすとイエスが約束している「愛の祈り」を実行するにはどうしたらよいか、本書から引用してみます。

人は家庭でも学校でも職場でも、それぞれのいろいろな義務があります。しかしこの祈りはくちびるで唱えるものではなく心の内的行為であるがゆえに、日常生活の妨げにはならないし、会話をしても、精神を全部集中しなければならない仕事をしても、愛の心は常に絶え間なく起こすことができると書かれています。さらにこの祈りに集中することで、自由意志からのあらゆる無益な思いを自然に遠ざけ、霊魂が浄化されるというのです。

これはまさに、「心を尽くし、精神をつくし、霊を尽くし、力を尽くして主なるあなたの神を愛せよ」という戒めを守るための、具体的な方法なのでした。

しかし、このように絶え間なく祈り、常に思いのすべてを慎むことについて、「確かにそれはすばらしいかもしれないけど、私には気が重い」という人もいることでしょう。コンソラータが示した「愛の最も小さい道」は、すべての人が歩むよう強制されているわけではありません。誰でも自分の性格や精神に応じて、もっとも自分に合ったと思う手段を用いて聖化の道を歩むことはまったく自由なのです。

にも関わらず、この祈りは誰にでも多くの恵みを与えるものであり、完全にコンソラータに習うことはできなくても、この愛の祈りをできるだけ信仰生活に利用することはできるはずだと書かれています。この祈りの言葉を別の言葉で表現してもさしつかえありません。たとえ一日に10回しか愛の祈りをささげられなくとも、一ヶ月、一年経てばその数はどんなに莫大なものとなるでしょう。そうやっているうちにそれが習慣となって、ついには愛の祈りをささげることが容易になって、次第にイエスと絶え間なく一致できるようになると書かれています。(この祈りは口に出しても出さなくてもよいがいつも真心こめて唱えなければならないのです)

参考図書

『シスター・コンソラータ〜愛の最も小さい道〜』(ロレンツォ・サーレス著/ヨハネス・ワツラビク訳編/中央出版社)

現在絶版で、パンプキンの手元にあるものは昭和41年再版のものとなっています。素晴らしい本だけに非常に残念です。どこかの出版社が再訳をしてくれないかと思っています。

手に入らない本のため、意識して引用を多くしてみました。

★後日追加★
「復刊ドットコム」というところにコンソラータの本の復刊を希望してきました。100票集まると、出版社と復刊の交渉を してくださるそうです。ご賛同くださる方、復刊を希望される方は、一票を投じていただけたらと思います。
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=11961

★後日追加その2★
英語の読める方は、洋書のアマゾンなどで、コンソラータの英文版を手に入れることができますので、お知らせ します。
タイトル:Jesus Appeals to the World
by Lorenze Sales
出版社: Alba House; (June 1955)
ISBN: 0818900695
内容は The message entrusted to Capuchin Sister Consolata Betrone. A perennial bestseller since 1955.ということです。

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パンプキンの感想

この「シスター・コンソラータ」を初めて読んだのは学生の頃で、心に言いようのない喜びを覚え、ぜひ買って手元に置きたかったのですが、絶版と知って写本を思いつき(笑)、ノートを買ってきて何章か書き写しました。最後まではできなかったのですが・・・、それほど魅力的な本です。

久しぶりにこの本を読んで、さっそく「愛の祈り」を生活に取り入れようと思いました。私の場合、積極的な「最も小さい霊魂の会」の会員になるというよりも、できるだけ取り入れていく(思い出したら祈る)、という程度の決意でしたが・・・。

しかし、どんなにわずかしか唱えなくても、この「愛の祈り」は生活に変化をもたらすものです。第一に、いかに毎日、私は隣人愛に背いて自己愛に生きているか、ということがはっきりわかってきました。本書にもありましたが、神を愛するとは、自己を放棄することでもあります。「愛の祈り」を唱えていると、すべてが白か黒かに分かれてしまうのです。灰色ですませてきたものが、「これは自己愛からきたものだ」ということがはっきりしてしまうのです。

しかし、毎日のんべんだらりと暮らしていて、一体自分は何をもってクリスチャンなのか、もうわからなくなっているような者には、この祈りを始めることは画期的な飛躍となると思います。

この方法なら、子育てをして家にこもっている主婦でも、平凡な日常生活を送りつつ、その心は常に神に向かって高く掲げられ、一歩一歩進歩することのできる、素晴らしい方法だと思います。

「今がその時。今、はじめなさい。その瞬間瞬間を生きなさい。」

これはフィンドホーンにもまったく同じ言葉が出てきました。

また、イエスがどんな方であるのか、この本から垣間見ることができます。コンソラータの使命について、イエスはこう語っています。

「私が聖であることはみな知っているが、慈悲深いことをみなが知っているわけではない。コンソラータ、私の言うに言われぬ無限の慈悲のことを話しなさい。世界の人々に、私がどんなに優しく母のようであるかを知らせなさい」

神は愛であると語る人は多いけれど、コンソラータの本ほど、その優しさが心にいきいきと伝わってくる本は数少ないと思います。その本に書かれている言葉のひとつひとつにはとても励まされます。

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