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マリア福音姉妹会(ドイツ)

目次をご利用ください。

マリア福音姉妹会とは

マリア福音姉妹会の思想

聞かれる祈りの秘訣

著書・『神の現実について』

パンプキンの感想

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マリア福音姉妹会とは

1934年、西ドイツのダルムシュタット市郊外に、少女たちだけの聖書研究会があった。その研究会の指導にあたっていたバジレア・シュリンク女史を中心として、1947年、マリア福音姉妹会が誕生する。

1949年、バジレアシュリンク女史は、神に礼拝堂を建てよとの命を与えられ、無からの礼拝堂建設が始まる。この会堂、「カナン」の建設にあたっては、財産のたくわえもなく、土地もなく、建築の経験もない彼女たちが、この世のなんの助けもなく、ただ祈りと神への信仰によって建てた、という驚くべき経緯がある。

この、人間的には無謀とも見える建設のゆくえに、西ドイツじゅうの住民、会社、役所、新聞らが注目していた。つまり人々は、「20世紀の現代にも、神はいるだろうか?」という問いの答えを見守っていたのも同然だったのである。

その結果、この会堂「カナン」の建設は、そのひとつひとつの過程がまさに奇跡の連続となった。これを見た多くの人々が失いかけていた信仰を取り戻し、彼女らの神がかり的なやり方を嘲笑していた人々の中にも信仰を持つようになる人が出てきた。その様子と詳しい思想的な背景は、シュリンク女史の著書『神の現実』に記されている。

現在「カナン」の地には、世界各国から数千、数万の人々が、キリストの使者を求めて来訪しており、日本を含め世界各地に二十余のカナンセンターがある。

マザー・バレジアの著書は100冊以上にのぼり、60カ国語以上に翻訳されている。

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マリア福音姉妹会の思想

マリア福音姉妹会は、単に神の奇跡の起こった集団、というだけではなく、そこにはしっかりとした思想的な土台があります。また、ひとりの教祖的な存在がいるわけではありません。この思想的な土台に基づいて行動した者全員に、この奇跡的な恵みが起こっているのです。世界の他の場所でも、同じ様な現象が見られます。(例えばフィンドホーン)

そこには、「聞かれる祈り」をするための、法則のようなものがあるようです。奇跡そのものにあまり価値を置く必要はないでしょうが、なぜ彼女たちにだけ豊かな恵みがあり、他の教会はそのようでないのかを考えると、人間の側の信仰の姿勢について(なぜなら神がえこひいきするとは考えにくいので)反省し、学ぶべきところが多くあるように思います。私たちは、文字通り神と共に歩み、日々「神の現実」を体験しているマリア福音姉妹会から、何が学べるでしょうか。著書『神の現実』から、その思想を拾ってみました。

1.われわれには父なる神がおられる

その昔、牧歌的ですべてが単純だった時代には、「神の助け」ということが現代よりも想像しやすいものでした。嵐が起こり、船が沈みそうになったら、「神様助けてください」と言うことができたのです。しかしすべてが複雑になってしまった現代では、世の中の、あるいは日常の問題に神が介入して助けるというイメージが沸きにくくなってしまったのではないでしょうか。かつて嵐を沈めた神も、海を二つに割った神も、故障したパソコンを治すことがおできになるでしょうか?(笑)現代では、例え信仰者であっても、神ができることとできないことを自分の頭の中で区別してしまっているような気がします。

しかしマリア福音姉妹会たちは力強く、単純に言います。現代にも神は生きて働かれ、われわれの父親であるがゆえに、助けを呼ぶならば一切の問題を解決してくださる、と。そして彼女たちは、現実に、まさに具体的に、その事実を証しています。

例えば金庫にお金がないのに今日中に支払わなければならない請求書があるとします。彼女たちは資金集めに走り回ることなく、借金することなく、神がしてくださると信じて神の助けを待ち望みます。そして、驚くべきことに、たくさんの請求書の支払いは、ひとつも滞ることなく、いつもギリギリの瞬間に、必要なだけのお金が入り、支払われてきたのです。お役所が建設用地を別の目的に決定済みという障害も、土地相続にまつわる問題も(絶対自分の土地を譲らない、と言う人もいたのです)すべてクリアしたばかりでなく、80人からなる団体が20年間というもの食料や日用品を一切買うことなく、過不足なく養われてきたのです。

彼女らは、自分でなんとかしようとせず、神に頼るという道を選んだがゆえに、神がしてくださるという「現実」を日々味わうことができたのです。シュリンク女史は書いています。「現代は、父なる神から何も期待しない人々がかくも多く、おそらくいまだかつてなかったほど、自足と唯物無神の生き方へと、人々が向かっていく。・・・神を待ち望み、すべてを神から期待するとき、神は惜しみなく恵みを注ぎ給う。

マリア・ワルトルタさんの著作の中でもイエスは語っています。

「人間はまったくの人間で、神が助けたいというのに耳を貸さず、自分で何でもしたがる。・・・イエズスは、あなたたちに十分愛されていないという悲しみのあまり、寝ているのである。私を呼びなさい。そうすれば、やって来る」

2.神の国と義とを第一に求めよ

しかし自分勝手な祈り・・・例えば「何がなんでも一流大学に合格するように」とか「とにかく○○さんが死なないように」とかいう祈りが聞かれるというものではありません。なぜなら人間は目先の欲望が叶えられることを望み、神は真の幸せを人間に与えようとしているからだと言います。もしそれが叶えらることが本当の幸せを得ることと矛盾するような場合には、祈りは聞かれないこともあるということです。私たち人間は、神の国と義とを心に得ることが一番の幸せであるという考えに立った祈りでなければならないのです。

3.すべてに偶然はない

姉妹会の人たちにとって、日常に起こるさまざまな出来事や事件は、ただの偶然の出来事ではなくすべてが意味のあることです。そして、さまざまな日常の問題は目に見える現象がすべてではなく、それはあくまで結果であって、根本原因は精神の世界にあると捉えています。それはさながら、肩こりや腰痛などが起きたとき、その症状だけを抑えようと湿布薬を貼るのでなく、その根本原因である内蔵の治療や悪い生活習慣を改める、というような根本からの解決法なのでした。彼女たちにとって、目に見える世界の物事はすべて、目に見えない世界の調和や不調和が原因で起こっているのです。「精神世界めぐり」で紹介されているスウェーデンボルグも、その神学書に物質界の出来事はすべて精神世界(霊界)のことが原因で起こると書いていますが、マリア姉妹会のシスターたちは経験的にそれを悟って、実生活に応用しているのでした。

「これらのすずめの一匹でも、神の許しなくしては地に落ちることはありません」

4.悔い改めを伴うとき、祈りは聞かれる

では、目に見える世界の問題の、目に見えない根本原因とはなんでしょうか。姉妹の考えることはこれです。

神はいつも恵みを人間に注いでいるが、人間の側に罪があるとき、それが雲のように覆って、神の光をさえぎってしまうというのです。つまり姉妹たちは何か物事がうまくいかないとき、問題が立ちはだかったとき、それは神の祝福を妨げている自分たちの罪が原因だと考えるのです。姉妹たちは、こうした問題のすべてを、その原因となる具体的な罪を見つけ、告白し、悔い改めることによって解決してゆくのでした。罪の全くない人間になることはできませんが、罪を反省し、そこから足を洗おうと悔い改めることで、神の目に罪がないと同じように見てもらえるのだということです。

では実際どのようなことが行われていたのでしょうか。

建設作業現場には「奇跡のテント」と呼ばれる祈りのテントがあります。作業がつまずいたとき、なかなか進まないとき、姉妹たちはそこに入って何が問題かを点検し、悔い改めます。すると具体的に何もしなくても問題は解決するのです。

例えば、百キロ以上もある重いトロッコが何度も脱線して仕事がはかどらず、ほとほと困っていたとき、彼女らはトロッコに関する目に見える原因を考えるよりはむしろ、自分たちの罪という目に見えない原因を考えるのです。そして「祈りのテント」に入り、何が今日、私たちの仕事から祝福を取り去ったのか、原因をお示しくださいと願い求め、それを悔い改めます。

この場合は、何人かのシスターたちが、他のシスターたちに心に含むところがあり、互いにいらいらしていたことが明らかになりました。道具がきちんと片づいてなかったとか、仕事が遅いとか、そういう細かいことで相手を裁いたり、腹を立てたりしていたのです。互いに裁いていたことをお詫びし、神に向かって悔い改めたとき、トロッコはもはや二度とレールからはずれませんでした。

懐疑的な人はこれをただの偶然というでしょう。しかし実は同じようなことがこの本には何度も登場してきます。重要なのは、彼女らが「悔い改めたら解決されたときもあった」というのではなく、「解決するために悔い改め以外の方法を取らない」ということなのです。

モルタル混合機が、印刷機が、故障して動かなくなったとき、機械の知識のない姉妹たちがすることは、技師を呼ぶことではなく、自分たちの罪を悔い改めることだったのです。すると、機械は外から何もしないのにも関わらず、悔い改めたその瞬間から正常に動くようになるのでした。それは彼女たちによれば、目に見えない世界の根本原因が解決されたからなのです。

それは天候さえも例外ではありませんでした。一緒にいて仕事を指導していた、信仰のない職人2人も、姉妹たちがテントに入るとすぐ問題が解決するので、次第にこう言うようになったほどでした。「われわれは外にいよう。シスターたちがテントに入ると、雨はすぐ上がるから。」

4.神は疑わない祈りを愛される

祈りが聞かれるための条件がもうひとつあります。それは神に対する信頼、祈りが聞かれることを疑わないことです。

イエスはたびたび、「あなたが信じた通りになるように」と言っています。信じることはどんなことでもその通りになる、とも。

姉妹たちの信頼は中途半端ではありません。というのも彼女らは、万一神が聞いてくださらなかった時のことを考えて逃げ道を用意しておくということをしないからです。

もし多額の支払い請求書が来て、今日中に支払わなければ詐欺罪で訴えられるとしましょう。まだお金は入ってきません。信仰の弱い人は、すぐに蒼くなって自分の力で解決するために走り回ることでしょう。しかし、姉妹たちは、絶対的な信頼をもって、最後の瞬間まで神を待ち望むのでした。神への全き信頼に入るため、地上のあらゆる安心を放棄することで、多くの恵みを得たのです。そして次に挙げるように、実際、助けは決まって最後の瞬間にやってきたのです。

5.神は最後の瞬間に介入される

『神の現実』を読んでいると、ひとつひとつの出来事が、これはただの偶然ではなく神の手によるものだ、ということが力強く読み手に迫ってきます。その理由は、神はいつも、人間的な考えではどう考えても絶望的という状況まで待って(あるいはわざとのようにそういう絶望的な状況を作りだして)最後の瞬間に働かれるからです。実に、神は常に姉妹会のふところを潤しておくというやり方はしませんでした。金庫には常にわずかばかりのお金しかなく、恵みはその都度、それも最後の瞬間に与えられてきたのです。

それは、今度こそ本当にダメだ、と思う瞬間まで放っておかれることで、姉妹たちの信仰が強められ、成長するためでした。また、そのことで、あざ笑う懐疑的な人たちの目にさえも、これがただの偶然ではなく神の手によるものだということが圧倒的に印象づけられていったのです。

まさに「夜明け前は、もっとも暗い」・・・神なんかいないと思え、助けが来るなどとは全く信じ難い、絶望的な時にこそ、神の助けはすぐそこまで来ているのだと知っていることは心強いことです。

6.ただで与えよ

姉妹たちは、生活のすべてを神に保証してもらっていることから、自分たちの労働の代価としてお金を受け取ることを正しくないと判断しました。そこで、自分たちの奉仕や出版物、技工芸などの制作品には一切代価を要求しなかったのです。固定した収入も保証もないことで、日々何もない状態で神を待ち望む祈りと信仰の生活に導かれたのです。

時には、欲深い商人がやってきて、無料で配っていた姉妹会の出版物を端からかばんに詰め込んで去ってゆくということもありました。さすがに「こんなことをしていたら私たちは破産しないだろうか?」という不安にかられた時も、彼女らは何も言わず、「ただで受けたのだから、ただで与えよ」という聖書の言葉にしがみついたのでした。そして、「与えよ、そうすれば与えられるであろう」という約束は、姉妹たちの想像をはるかに超える形で果たされたのです。彼女らはいつも期日通りに建築の請求書の支払いをすませ、すべての建物が借金を残すことなく立っています。人々に呼びかけたり、募金をしなくても、神が多くの人々の心を動かし、このわざのために捧げと寄付をなさしめたからなのでした。著者は書いています。

「もし私たちが勘定をし、自分や家族のために地上の安全を求めようとする思いを神にうち砕いていただき、私たちが信じてすべてを主から期待し、そのみ国のために自分を使い果たすようにと導かれるならば、神は私たちの上に、その賜物を豊かに注がれる」と。

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聞かれる祈りの秘訣〜祈りの人となるために

さて、上にあげたような思想に立って、姉妹会はすべての仕事をやってきたわけですが、私たちは誰でもみな、同じ様な法則に立って祈れば、必ずその祈りは聞かれると女史は述べ、祈りの秘訣をまとめています。

「ただ祈るだけでは、助けをもたらさないのであって、正しい祈りが約束のものを受けるのである。正しく祈らぬときは、何の助けも与えられず、聞き入れていただくことはできなかったのである」と。

聞かれる祈りと聞かれない祈りの違いはどこにあるのでしょうか。私たちはどんな風に祈るべきなのでしょうか。

1.祈りの障害を取り除く

上に挙げたように、神が祈りを聞かれないとすれば、それは私たちのまだ悔い改めていない罪が、間に介在して障害になっているのだ、と著者は書いています。罪とはすなわち、深い意味での十戒の違反ですが、罪のない人はそもそも存在しないのだから、自分の罪を悔いる心で満たされ、悔い改めることが必要だということです。特に、周囲の人への愛に背くこと・・・怒ったり裁いたり憎んだりということは、神の恵みを妨げるといいます。

2.信仰の祈り

逃げ道を用意しておいて、漠然と信じることは容易ですが、せっぱ詰まった困窮の中にあって、神を待ち望むことは大いなる信仰を要することです。しかし暗闇の中にあるときこそ信じ続けるならば、暗闇がなかったときよりもはるかに大いなる神の栄光が現れることが本を読んでいてわかります。

3.幼子のような祈り

神がどれだけのことをしてくださるかについて、私たちは自分の頭で制限を加えていないでしょうか。「このくらいは自分でしなければ申し訳ない」「神をこんなことで煩わせてはいけない」などと。

著者は書いています。

「私たちはさまざまな点で、幼子のようでなくなっており、必要な小さなものについては祈らないために、いつまでも貧しく、多くの困窮の中にありながら、祈りが聞かれたという経験を持つことがかくも少ないのである。・・・神はご自分によりすがり祈る子供達を待っておられる。それは私たちに善をなし、よき物を与えることが、愛の父にとって喜びだからである。」

4.持続する祈り

辛抱強く忍耐し、あきらめることなく、ひるむことなく、神を待ち望むことが大事だということです。そして待っている間、繰り返し、「あなたが私の祈りを聞き入れることができない理由は何ですか」と問うことになるのです。

5.真剣な祈り

多くをなしえない場合、それは私たち自身においても、真剣なものでないがゆえに、神もこれを真剣に受け取ることができない、といいます。軽々しく口にする祈りではなく、重みを持ち、力を込め、時に時間や力や財産を捧げることで祈りに真剣さが加わり、聞かれることがしばしば起こったと書かれています。

6.祈りへの道

女史が強調しているのは、特に恵まれた人々だけがこのように祈れるというのではなく、この祈りの道はすべての人に開かれ、誰でも体験することができるということです。一度に背伸びして信仰の祈りへと入ってゆく必要はなく、身近な第一歩を踏み出せばよいということです。これらの秘訣に示された祈りは、第一歩を踏み出すことで、徐々に訓練され、学んでゆくものなのです。

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著書・『神の現実』について

『神の現実』〜20世紀に体験した神の奇跡〜(原題:Realitaten-Gottes Wirken heute erlebt 1962 by Basilea Schlink)

M.バジレア・シュリンク著/高橋三郎・大友陽子共訳/マリア福音姉妹会/800円

原題の意味は直訳すると『今日体験された神の業なる諸現実』という意味になるそうです。これは上記の、「カナン」という会堂建設にまつわる、現代の奇跡ともいうべき経緯を報告したものです。お金もない、土地もない、全く無の状態から、ただ祈りによって、次々に障害を乗り越えてゆく様が書かれています。

これは単なるひとつの会堂建設物語ではなく、そこには何千年前と同じように現在も生きて働く神があり、この20世紀という複雑な時代においても、ただ神を信頼し、祈りを唯一の武器として前進するならば、神は何千年も前と変わらずその御言葉通り私たちを助けてくださることを証ししたものでもあります。

この本は32カ国語に翻訳されています。

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パンプキンの感想

パンプキンは、実を言うと、とてつもなく小心者です。

毎日テレビでは嫌なニュースばかりですが、特に火事や事故、少年少女の非行、殺人などの事件はいつ自分の身にふりかかってくるかもしれないことばかりで、つい心がふさぎます。ついこの前も1歳くらいの男の子が車ごと連れ去られて溺死体で見つかったという事件があり、同じくらいの年頃の息子がいるパンプキンは見ていてつらくて仕方ありませんでした。

こんな世の中に、私たちはひとりぼっちでほっぽり出されて、運命のなすがままに生きていかなければならないのだったら、どうもやっていけそうにない、と私などは思うタイプです。(^^;

そんな私は、マリア福音姉妹会のこの本を読むたびに、ふつふつと生きる力が沸いてくるのです。私たちは孤児じゃない。ひとりぼっちで世の荒波に放り出されているわけじゃない。不況でもリストラでもローン地獄でも、どんな状況でもそれだけでおしまいということはない。そういう問題はすべて偶然に起こったものではない。そして解決の道が用意されていない問題はない。どんなに絶望的な状況に見えてもすべては神の手のひらの上にあるのであって、人間が正しく祈るならば必ず助けてくださるというのだから。私たちはひとりじゃない。頼りゆくものに恵みを約束しておられる神がおられる。そう思っているだけでどんなに励まされることでしょうか。

若い世代の中には、「もう世の中はどんどん悪くなっていくから、子供は作らないんだ、子供がかわいそうだもん」というカップルも増えてきているそうです。将来のことを考えると、どんどん不安が膨らんでゆきます。でも、例え核戦争の脅威に直面しても、「主を待ち望む」というただひとつのことさえなすならば、絶望することはない、とシュリンク女史は書いています。心強い言葉です。

私の信仰の原点はたぶんここにあると思います。愛に生きる崇高な理想に燃えるとか、そんな立派なことじゃなくて、文字通りなんにもない、ちっぽけな自分が、ただひとつしがみついている最初で最後の希望。いつも神の前では小さい子供の自分でいたい。そして幸福になるためのこの道・・・姉妹会が提唱している「悔い改めの道」を手放さないようにしたいと思うのです。

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