多重人格障害(MPD)

長いので目次をご利用ください

多重人格障害とは

複数の人格の例

多重人格障害についてのさまざまな理論

多重人格障害が示唆する私たちの心の世界

もうひとつの解釈〜スウェーデンボルグの人間観から

多重人格障害関連図書

パンプキンの感想

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多重人格障害( MPD: Multiple Personality Disorder)とは

ここ数年、アメリカでは多重人格障害の報告が急増しています。そして『24人のビリー・ミリガン』をはじめとする、多重人格障害に関する本格的なノンフィクションが出版、翻訳されて話題を呼び、「多重人格障害」という言葉が一般的な人々の耳にも入ってくるようになりました。日本では、近年M被告人に対する精神鑑定で多重人格障害であるとの診断も出されています。

少し前までは精神分裂病と同様と誤診されてきたこの障害は、まだまだ発見されて新しく、WHO(国連世界保健機関)でもその定義が年々修正され続けています。

病気の身体を調べることによって、健康な身体のしくみがわかってきたように、障害によって現れてきた心の世界は、人間の心というものを考える上でヒントを与えてくれるのではないでしょうか。多重人格障害なるものが、私たちに示唆するものはなんなのでしょうか。

・多重人格障害の主な特徴

まずはWHOの国際疾病分類(ICD-10)での定義をあげてみます。

「・・・主な病像は、ふたつ以上の別個の人格が同一故人にはっきりと存在し、そのうち一つだけがある時点で明らかであるというものである。各々は独立した記憶、行動、好みを持った完全な人格である。それらは病前の単一の人格と著しく対照的なこともある。・・・一方が他方の記憶のなかに入ることはなく、またほとんど常に互いの人格の存在に気づくこともない。ひとつの人格から他の人格への変化は、最初の場合は突然に起こり、外傷的な出来事と密接な関係をもっている。」

多重人格障害は、いわゆる精神病(精神分裂病、躁鬱病、てんかん)とは異なり、専門的には「解離性の障害」というものに分類される精神的失調のひとつです。(解離性とは、「統合されていたものが離れてしまう」、という意味で、ヒステリーから来る失明や失声などもここに含まれる)

具体的には、上の定義にあるように、文字通りひとりの人間の中に複数の人格が存在する、ということになるのですが、それは私たちが普段「あの人は二重人格者だ」と言うように、いろいろな側面の人格を持った人、というようなレベルのものではありません。それはまさに本人とは別人の、別個のアイデンティティーを持った人格がひとつの肉体の中に存在していて、それが繰り返し本人をさしおいて「表舞台」に現れ、勝手に行動しているのです。そして重要なことは、別の人格が活躍している間、本人(および他の人格)にはその間の記憶がないということです。すなわち本人は、自分がいつからいつまでの間、どこで何をしていたかさっぱり記憶がないということがたびたび繰り返され、全くした覚えのない約束をしてしまっていたり、身に覚えのないことでとがめられたり、ということがちょくちょく起こることになります。

そして驚いたことに、それらの別の人格(副人格)たちには、それぞれ自分の名前があり、異なる生育歴をもち、性別、国籍、年齢が異なる場合があるほか、同じひとつの肉体に存在しながら、それぞれの容貌や体格といった身体的特徴も異なっているというのです。さらに訛りなどの言語的特徴や、話せる言葉、筆跡、それぞれの知性も才能も嗜好も異なっています。(ビリー・ミリガンの例参照。)

そしてこれらは、薬物やアルコールを服用しなくても、現れてくるのです。

・その他の特徴など

多重人格障害の報告が圧倒的に多いのは北米ですが、アメリカ精神医学協会の診断基準(DSM-IV)の定義のうち、上に漏れている部分を補足すると次のようになります。

・時に自分勝手な人格は、表面に現れる人格に対し、声や視覚的な幻影によって割り込んでくることがあり、ここで精神病との誤診が起こりやすくなる。

・複数の人格の数は2〜数百に及ぶが、半数のケースでは10以下である。

・多重人格の人は性格的に受け身で依存的で、自分を責め、気分が沈む傾向にあることが多い。また被暗示性が高く、催眠にかかりやすく、暗示にかかりやすい。

・近年アメリカで高い率で報告されており、文化特有の症候群であるとの議論もあり、まだ決着がついていない。

・男女比では3倍〜0倍、女性の方が多い。男性は平均約8人、女性は平均15人以上の人格を持つ。

・多重人格障害は慢性化が起こりやすく、再発しやすい。

・40歳を超えると多重人格障害はおさまりやすくなる。

・多重人格障害は演技ではないのか?

世間を騒がしたビリー・ミリガンについての本などを読むと、そのオカルト的とも言える驚くべき精神世界にめまいがするほどで(笑)、当然、「本当にこんなことがあるのか?非常に頭のよい人間が、勝手に創り出したものではないのか?」という疑問が沸いてきます。特に、それが犯罪と結びつけばなおさらです。なにしろ、「別の人格がやったことだ、私は知らない」と言えば、責任が問われないのですから・・・。

実際、多重人格障害の存在そのものに、まだ懐疑的な精神科医も多くいるようですし、事実この流行に便乗して多重人格を装う輩も出ているようです。また、多重人格障害という新たな概念を仕入れた治療者が、知らず知らずのうちに誘導的な尋問をし、あるいは催眠術で他の人格を引き出し、多重人格障害者を作り上げてしまうという側面も否定できません。しかし、それらにあてはまらない「真正の」多重人格障害者もやはり存在するようです。

それが芝居ではないことを証明するいくつかの実験があります。

1.心理テストを用いた研究では、各人格についてテストを行うと、明らかに知能が異なり、各種性格検査でも明らかに異なった人格特徴が見いだされる。ロールシャッハテストでも、明らかに異なった人格であるとの判定が出る。

2.各人格について痛みの感じ方という、神経生理学的な実験を行うと、明らかに異なった反応が確認される。

3.アレルギー反応でも各人格で異なっており、ある人格は喘息なのに、別の人格では起こらないという違いすらある。

4.各人格に脳波検査を行ったところ、大人の脳波と、子供の人格の脳波とでは、明らかに違いがあった。(幼児期の脳波はシータという成分が多い)

5.脳の血流も、ある人格においては右脳が活性化しており、右脳の血流の増加が認められた。

ちなみに上記のうち、生理学的反応については、催眠術を用いると変化させることも可能だそうですが、脳波に関しては通常、変化することはありえないということです。

なお、多重人格障害と間違えやすいものには、境界性人格障害(BPD=borderline personality disorder・・気分がコロコロ変わりやすく、感情が不安定で、昨日の自分と今日の自分が別人のよう)と、演技性人格障害(HPD=histrionic personality disorder・・絶えず人の注意をひくために多重人格のフリをしたりする)が合併したケースがあり、治療者がだまされることもあるそうです。

・多重人格障害はなぜ起こるのか

多重人格障害は幼児期に受けた暴力や性的な虐待が原因というのが通説となっています。つまり、傷つきやすい子供が、外界の過酷な状況に耐えきれず、どんどん奥に引っ込み、その子供の人格をいわば保護する目的で、身代わりに虐待を受けとめ、本人を慰め、守ってくれる人格を創造し、発展させながら、多重人格を創り出してゆくという、一種の防衛のメカニズムだということで、現在ではこの説が一般に受け入れられています。

実際、北米では、一般の女性の幼少期の性的虐待経験の割合が4割近くなのに対し、多重人格障害者ではどの調査でもほぼ全員ないし圧倒的多数(95%程度)が、幼児期の性的虐待を受けているといいます。

また、アメリカの地方に現在もある悪魔崇拝のカルトないし秘密結社の忌まわしい儀式の犠牲者であるとの研究も進んでおり、幼児期に悪魔崇拝カルトに参加していたために成人してから多重人格障害と診断されるケースが増えているそうです。

・どのように治療するのか

『24人のビリー・ミリガン』に登場してくる治療者は、この24人の人格を徐々に統合して一人の人格にしようと試みていました。これが1950〜60年代の主な治療法だったようですが、その結果は失敗だったようです。また、副人格を抹消していく(催眠下で自殺のまねごとをさせる)という方法は、主人格にとって非常に有害で、症状を悪化させることがわかって今は行われていないということです。というのも、どんな人格も、「必要だから」そこにいるからです。

結局のところ、原因が幼児期の精神的外傷であるから、各人格の交流を深め、協力し合うようにして、安全な場所でひとつひとつの人格がもう一度幼児期のつらい経験を思い出し、それを解放させるという方法がとられているようです。

(以上、酒井和夫著『分析・多重人格のすべて』他から抜粋、要約)

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複数の人格の例〜ビリー・ミリガンの場合

三件の誘拐、三件の強盗、四件のレイプで起訴された重大犯罪の被疑者であるビリー・ミリガンは、多重人格障害という概念を広く世に知らしめることになりました。彼の中にいた人格たちはどのようなものだったのでしょうか。

『ある多重人格者の記録〜24人のビリー・ミリガン』(ダニエル・キイス著)の冒頭部から、24人のうち最初に発見された10人の人格に関する記述を引用してみます。

ウィリアム・スタンリー・ミリガン(ビリー):26歳。本来の人格もしくは核となる人物で、のちに「分裂したビリー」と呼ばれる。高校中退。身長6フィート、体重190ポンド。目は青く、髪は茶色。

アーサー:22歳。イギリス人。合理的で、感情の起伏がなく、イギリスのアクセントで話す。独学で物理学と化学を学び、医学書を研究している。流ちょうなアラビア語を読み書きする。徹底的な保守派で、自分を資本主義者だとみなしているが、無神論者だと公言している。・・・安全な場所にいるときは他の人格たちにたいして支配権を持ち、「家族」の誰が外に出て意識を持つかを決定する。めがねをかけている。

レイゲン・ヴァダスコビニチ:23歳。憎悪の管理者。彼の名前は「再度の憎悪」からとられた。ユーゴスラヴィア人で、英語を話すときは顕著なスラヴ訛りがある。セルビア・クロアチア語を読み、書き、話す。銃と弾薬の権威で、カラテの達人。・・・共産主義者で無神論者。危険な場所にいるときは、他の人格たちにたいする支配権を持つ。犯罪者や麻薬常用者と交わり、犯罪行為、ときには暴力的な行為をすることを認めている。体重2百ポンド。たくましい腕を持ち、髪は黒、垂れ下がった口ひげを生やしている。色覚異常なので、黒と白でスケッチする。

アレン:18歳。口先がうまく、他人を巧みに言いくるめるので、外部の者との交渉にあたることが多い。不可知論者で、「この世で人生を最大限に楽しむ」という態度をとっている。ドラムを叩き、肖像がを描き、人格達のなかでただひとり煙草を吸う。・・・身長はウィリアムと同じだが、体重は少ない(165ポンド)。髪を右側で分けている。唯一の右利き。

トミー:16歳。縄抜けの名人。アレンと間違えられることが多い。だいたいにおいて喧嘩腰で、反社会的。サキソフォンを吹き、電気の専門家で、風景画を描く。髪はマディ・ブロンド、目はアンバー・ブラウン。

ダニー:14歳。おびえている。人々、特に男性を怖がる。自分の墓を掘らされ、生き埋めにされた経験がある。そのため、静物画だけを描く。肩までの金髪、青い目。小柄でやせている。

デイヴィッド:8歳。苦痛の管理者。感情移入し、ほかの人格たちの苦しみや苦痛を吸収する。きわめて過敏で知覚力が鋭いが、集中期間が短い。たいていの場合、混乱している。暗赤色がかった茶色の髪、青い目。身体は小さい。

クリステン:3歳。隅の子供。学校で隅に立たされるので、そう呼ばれるようになった。利発なイギリス人の少女で、読むことも活字体で書くこともできるが、失読症。花や蝶の絵を描き、色を塗るのを好む。肩までの金髪、青い目。

クリストファー:13歳。クリステンの兄。コックニー訛りがある。従順だが、不安を抱えている。ハモニカを副。髪はクリステンに似た茶色っぽい金髪だが、前髪は彼の方が短い。

アダラナ:19歳。レズビアン。内気で、孤独で、内向的。詩を書き、ほかの者のために料理その他の家事をする。長い黒髪が筋になって垂れている。眼振のため、茶色の目がときどき左右に動くので、「踊る目」を持っていると言われる。

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多重人格障害についてのさまざまな理論

上のビリー・ミリガンの例を見ても、人間の心の複雑さ、不思議さというものに驚愕せざるをえません。そもそも、なぜただひとつの容貌をもったただひとつの肉体に、別の髪型、髪の色、目の色、体格の人格が存在するのでしょうか。また、本人が学んだこともないはずの言語を話し、習ったこともないはずの方面の知識を有するのでしょうか。

この障害を説明するいくつかの説があります。

1.多重人格障害は催眠術や暗示により治療者が創り出した疾患である。

これは上に挙げた、多重人格障害を独立した精神疾患とは認めない立場の精神科医たちの見方です。

2.もともと人間の本質は多重性にある。

これは後でも触れますが、人間の多重人格性の研究は1700年代ごろからも行われていて、その中で人間の精神に関する大事な発見がされてきました。

そのひとつが、フロイトやユングなどによる、人間の心はそもそも二重性―多重性を持ったものだ、という発見です。このように人間の心をそもそも複数の人格の統合体ととらえる考え方をポリサイキズム(ポリサイキとは、多数の魂、の意)と呼ぶそうです。

パンプキンはユングはすんごく簡単な解説書しか読んだことないので詳しくは触れませんが(笑)私たちの無意識の領域には、ふだん意識している自分とは正反対の人格が存在し、(例えば男性なら女性性、女性なら男性性、など)自分の知らないところで独自に活動していて、そこから表の意識に影響を与えたりしているということで、多重人格障害はそうした人格たちが見える形で表に出てきたにすぎないとする考え方です。

3.人間は輪廻転生する存在で、過去生の記憶が想記されているという考え方

前世というものがあるとすれば、過去生では異性だったり別の民族だったりすることは普通だから、自分は自分でありながら、別の自分が心の中にいるという感覚があることになります。特に、習ったこともない技能や知識があったり、知らないはずの言語が話せたり、生育歴が異なっていたり(同じ身体の中にいながら生育歴が違うなんて!)、といった側面は1,2の説では説明がつかず、その点説得力があります。(この説をとる宗教哲学者や精神科医も少なくないようです)

4.先祖の記憶がなんらかの形で遺伝子によって受け継がれ、想記される

人間は身体的特徴ばかりでなく、気質や性格まで親や祖父母などから遺伝することは知られています。ではなんらかの形で先祖の記憶のが遺伝によって引き継がれ、人間の無意識の領域に保存されていることはないのでしょうか。動物などは誰からも教えられなくても知っている生活上の知恵のようなものを持っています。それは遺伝子に組み込まれているとしか思えないものですが、人間も、先祖の人たちの経験や人生などが、複数の人格となって自分の中に受け継がれていて、それがなんらかの拍子に表面化したものではないのか、という考え。多重人格障害の人格の中には異国の人格もいるのですが、そもそも移民であるアメリカ人は先祖をたどればいろんな国籍に突き当たってもおかしくはないので・・・。ただ、人格が独立して動き始め、タイムリーにしゃべり、行動することを考えるとちょっと無理があるような・・。

5.憑依説(いろんな霊がとりつく)

多重人格になる人々はみな霊媒体質で、たくさんの霊を呼び寄せるという説です。これも3と同じく、1.2では説明できない側面を説明できます。(なにしろ霊は地上にいたとき、それぞれ別の身体をもって別の人生を歩んでいたのですから)この説を信じている人はとても多いようです。ユングも、晩年は降霊ということ(霊が個人の中に降り立つ)を信じていたそうです。

・・・さて、パンプキンはどの説を信じているのでしょうか?これは後に述べますが、さしずめ2と5の融合といったところになるでしょう。

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多重人格障害が示唆する私たちの心の世界

・私たちはみな多重人格者!?

多重人格(障害)の存在は、人間の心が思ったより複雑で、自分の心でさえ、自分が知っている以上に奥深いものであることを示唆しているのではないでしょうか。

というのも、多重人格障害が特別な脳の病気などではなく、幼児期の体験によって発生するということは、人は誰でも多重人格障害者になりうる(幼児期の体験次第では)ということを意味し、つきつめると人間は普段意識していないけれども、いくつかの人格の複合体であるという人間観をもほのめかすからです。

真面目なサラリーマンがお酒を飲むと豹変する、立派な校長先生がふとした出来心で300円程度のものを万引きする、何かの薬草やコカインを服用すると、何か自分ではないものに変化する、バイリンガルの人が、英語を話すときの自分と日本語を話すときの自分は性格が違うと感じる、などなど、ささいなレベルではそれらしき体験をしたことがある人は多いのではないでしょうか。

また、犯罪もののノンフィクションを読むと、ひどく残虐に何人もの人を殺害した犯人も非常に心優しい面ももっていたりするし、ナチスドイツでユダヤ人を大量に殺害した司令官たちも、家に帰れば家族や花や動物を愛し、虫を殺すこともできないよき父親だったという報告があります。人間は、単純に100%「いい人」と「悪い人」がいるわけではなく、天使の面をも悪魔の面をも併せ持った、かくも複雑な存在なのでしょう。自分のことだからと言って、自分のすべてを知っているとは限らないのです。

・人間の中の理不尽な心

しかし、自分のすべてを自分が知っていないとしたら、一体自分とはなんなのだろうかということになります。自分が自分の思いのままにならない存在で、いつ闇の自分(笑)に乗っ取られて何をしでかすかわからないのだったら、とても困ったことになります。でも実際、後で考えてなんであんなことを、と後悔するようなことを言ったり行ったりして、自分の大切な人や家族を傷つけてしまったり、といった失敗はあるものです。また人間の心は移ろい易く、いとおしいと思っていた人間を別のときには憎さ100倍に思ったりして、恋人や友人などの人間関係を壊してしまったりすることもあります。

自分のすべてをコントロールできる人間がいたら、それはきっと聖人であって、実際には自分ではどうすることもできない、別の生き物のような自分というものを、人は心の中に抱えて生きているのではないでしょうか。少なくともパンプキンは、自我に目覚めはじめ、自分を客観的に見つめることができるようになってから、そうした自分を見て悩んだり自己嫌悪に陥ったりしました。

・主体的に生きる必要性

もちろん、私たちには多重人格障害者と違って一貫した記憶というものがあり、自分の中のどの自分がしでかしたにしろ、その行為を記憶から引き出し、吟味し、それが本当に自分が望むことであったのかどうかということを判断し反省する能力があります。失敗したら後悔し、反省し、次回はそれをしないようにするという能力、それこそが法で言うところの「責任能力」であり、言い換えれば「思考力」でもあります。

多重人格障害者になる人は、依存的で主体性のない人が多いとの報告が出されています。聖書には、「汚れた霊が人から出ていって、休み場がないので帰ってみると、家はあいていて、掃除してきちんとかたづいていました。そこで、出かけていって、自分よりも悪いほかの霊を七つ連れてきて、みな入り込んでそこに住みつくのです。そうなると、その人の後の状態は、はじめよりもさらに悪くなります。」という記述があります。

家主である人格(意識している今の「私」)が、自分が本当に望んでいるものがなんなのかというものをはっきりと持っていて、心を見つめ、自分に沸いてくるいろいろな思いを主体性を持って取捨選択していくこと、それがいつも「本当の私」が自分の人格の主権を握るための方法、すなわち「人格の統合」への道ではないかなと思われます。

・教育ということ

それから多重人格障害というテーマには、幼児虐待という重いテーマが含まれています。

私も子供を持つ者として、幼児期の虐待で人格がこのようになっていくということはよく肝に銘じておきたいです。虐待をする気はむろんありませんが、教育とは何もない白いキャンバスに教育者が絵を描いてゆくことではなく、子供にもともとある好ましい人格や才能を引き出すことである、とはよく言われることで、これは子供の中にあるたくさんの多重的な人格のうち、どの人格を表に出すのかを決めてゆくことであるかもしれないのです。

育児書などでは、厳しすぎる親の子供は攻撃的になる、などと親の態度と子の性格の相関関係が書かれていますが、これはもしかしたら子供の心の中で、その厳しさに耐えられるように防衛機制が働いて、優しい人格が引っ込んで攻撃的な人格が矢面に立つ、というような「主役交代」が、小さなレベルで行われているのかもしれないな、という気がします。

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もうひとつの解釈〜スウェーデンボルグの人間観から

初めて『24人のビリー・ミリガン』を読んだとき非常に興奮してしまった理由のひとつは、この多重人格障害という不可思議な精神世界が、それまで読んでいたスウェーデンボルグの人間観と非常にマッチしていたことがあります。そこで上に挙げた多重人格障害にまつわるさまざまな説に、6番目としてスウェーデンボルグ的(?)な解釈を付け加えてみます。

・スウェーデンボルグの人間観〜人間の人格はオリジナルな存在ではない

スウェーデンボルグ(精神世界めぐり参照)の人間観では、人間の人格とは自分だけのオリジナルなものではなく、絶えず霊界からの影響(流入)を受けているというものでした。つまり、人間が考えたり感じたりしていることは、どこからも影響を受けずに全く自分から生み出したものではなく、無意識のうちに他からの影響(流入)を受けているという考えです。

例えば、努力型ではない、天才肌の作曲家などが、「自分でもどうしてだかわからないが、自然と頭の中に曲が浮かんでくるので、ただそれを楽譜に書き留めているだけだ」などと言ったり、生涯まったく絵画のことなど関心がなく、絵も描けなかった人が、死にかけたことをきっかけに急に絵を描き出し、それも自分が見たこともない北斎の画風を忠実に再現していたり、というようなことがあります。そうした人たちの曲や絵は、本人のオリジナルなものというよりは、インスピレーションとして自分以外の存在(霊、文字通り霊感として)からの流入を受けているのではないかと考えられるのです。

またキリスト教世界ではよく、正しい行いをする人を「神に導かれている」と言ったり、悪行三昧な人を「悪霊に導かれている」などと言いますが、これらの「導き」も、人間が無意識の領域で霊(神や悪霊)からの影響を受けているという考えに基づくものと言えます。

・人間への思念の流入

では具体的に、霊(感)は人間の感情や思考にどのように影響を与えるとスウェーデンボルグは考えたのでしょうか。

要約すると、人間は心の無意識の領域で善霊(天使)や悪霊と交流していて、そこからよい思いや悪い思いが入ってきて、本人の心にいろいろな思いが沸くことになります。(お互いがお互いの存在に気づくことは通常ないようにされています)この両者の均衡によって人間は自由であるという考えは、スウェーデンボルグの思想のところで紹介しました。

そして、善霊や悪霊といっても、あの世で生活している人間の数だけ、さまざまな嗜好や性癖や才能をもった霊があるので、本人がもっている情愛(嗜好や生き方など)に応じて、無意識のうちに交流している霊の性格が決まります。情愛が移り変わると、交流している霊も交代します。だから幼児期、少年期、青年期、壮年期、老年期と、それぞれちがった霊と交流しているということです。上の芸術家の例で言えば、それまで全く絵画に興味がなかったのに急に絵に取りつかれはじめた、というのは、自分に影響を与える霊が交代したと考えるのです。

・多重人格障害を解釈すると

そこで、この考えを発展させて、上の4つの解釈とは別の、次の解釈をしてみました。

6.多重人格障害で現れる人格たちは、普段無意識のうちに交流している霊界の霊たちである

通常お互いの存在を知らされることのない人間と霊たちだけれども、幼児期の虐待という、人格崩壊の危機に際して、特別に防衛の目的で、無意識での交流が意識にのぼることを神は許されたのではないか、とパンプキンは想像しています。

多重人格障害は確かに障害ではあるけれど、その障害あればこそ、彼らは過酷な幼児期の虐待を受け止めて堪え忍ぶことができたのだから、彼らにとってこの障害は必要なものであったとも言えるのです。

もちろん、これは証明できるものではありませんが(笑)、ビリー・ミリガンの中の、例えばイギリス人の人格が、イギリスへ行ったこともないのに、その国のある場所に非常に懐かしさを感じる、といったくだりを読むと、過去にその名前でそのような特徴をもった人がそこに住んでいなかったか、真面目に調査する人がいれば、何かわかってくるものがあるのではないかという気がしたりします。

・スエデンボルグの人間観が示唆する望ましい生き方

スエデンボルグの人間観から考えると、私たちの心の中に沸いてくるさまざまな思いは、良いものも悪いものも、自分が起源ではなく他が起源ということになります。

そこで、自由意思を働かせ、思考力を働かせて、こうしたさまざまな思いを取捨選択していくことが大切であること、これは上に書いたことと同じです。

臨死体験の項で紹介した『臨死体験でみた地獄の情景』という本には、臨死体験によって悟ったことを次のように表現しています。

「私たちはみな、(根元の存在ではなく)従う存在なのです。どちらに従っているかの違いがあるにすぎません」

この言葉も、人間の精神は全く独立した存在(根元の存在、あるいはオリジナルな思考や感情の発生源)ではなく、むしろ受容体(器)であり、どんな人格であるかということは結局その器に何を入れるのかという本人の選択の問題になる、という人間観を示唆するものです。

さらにスウェーデンボルグの本には次のような言葉があります。

「・・・人の自由な選択があるのです。思考力を使って、善を受け入れ、悪を退けることは、「みことば」によって善悪を知っていればできることです。思考力で受け入れれば人のものになりますが、受け入れなければ人のものになりません。・・・もし人が、あらゆる善は主からくるものであり、あらゆる悪は地獄からくるものであることを信じれば、自分の手柄にするような善は何もないし、人間のせいにするような悪は何もないでしょう。そうすれば、人が考えたり行ったりする善を見て、それをことごとく主のものにするでしょうし、浸透してくる悪があっても、これを全部、地獄に追い返してしまうだろうと思います。ところが、天界からの流入も、地獄からの流入も信じないで、自分の考えや欲求はすべて自分の中にあって自分から出たものだと思う結果、悪を自分のものにしたり、善の流入を功績感でけがしてしまうのです。」(『天界と地獄』より)

この考えに従えば、私たちは、心の内にネガティブな悪い部分を見たとしても、必要以上に嘆いたり自分を責めたりする必要がないのです。むしろ他からの流入であるとしてこれを自分から切り離すことが可能であることになります。さらに自分の中に良いもの(愛や優しさ)が足りなくて悲しく思っても、それが自分なんだとあきらめることなく、それを祈り求めることによって、積極的に流入を受けようとすることも可能であることになります。こうした考えは結局、人間は求めることによって自分のなりたい人格に変わることができるんだということを言っており、私などは非常に希望が持てて好きな考え方です。

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多重人格障害関連図書

『私という他人』(原題:"The three faces of Eve"/C.H.セグペン博士&H.M.クレックレー博士著/川口正吉訳/講談社)

発売と同時にベストセラーとなり、世界十数カ国で翻訳され、1958年9月には『イブの三つの顔』として二十世紀フォックスにより映画化もされた本。日本でもTBSで『私という他人』というタイトルでテレビドラマ化され、三田佳子が主演している。「多重人格」という概念を広く一般人にまで知らしめた最初の本。

『私は多重人格だった』(原題:"I'm Eve"/クリス・C・サイズモア、エレン・S・ピティロ著/川口正吉訳/講談社)

上の『私という他人』の主人公自らとその姉妹が書いた本。

『ミス・ビーチャムあるいは失われた自己』(原題:"The Dissociation of a Personality"/モートン・プリンス著/児玉憲典訳/中央洋書出版部)

ボストンの神経学者であるモートン・プリンスが書いた本。『私という他人』を書いたセグペン博士が繰り返し参照している作品。

『24人のビリー・ミリガン』(原題:The Minds of Billy Milligan / ダニエル・キイス著)

1997年、アメリカ、オハイオ州で、連続強姦事件の容疑者として逮捕されたビリー・ミリガンという青年が逮捕された。が、彼には反抗の記憶がまったくなかった。・・・『アルジャーノンに花束を』を書いて圧倒的な支持をえたダニエル・キイスが多重人格という驚異の世界を描いたノンフィクション。

『ビリー・ミリガンと23の棺桶』(原題:The Milligan Wars/ ダニエル・キース著)

その続編。

『ジェニーの中の400人』(ジュディス・スペンサー著/出版社は忘れてしまいました(^^;)

異常な母親のもと、幼児期に悪魔崇拝カルトの儀式に参加させられたジェニーの中には、400人の人格が住んでいた。・・・多重人格ノンフィクション。

『分析・多重人格のすべて』(酒井和夫著・リヨン社)

医学博士であり精神科医の著者が、多重人格の基本的な概念からそこから派生するさまざまな問題(犯罪との関係、精神鑑定、理論、治療法その他)についてわかりやすく解説している。この本にかなりお世話になりました。宗教精神医学にも通じているこの著者の広い視野には非常に好感がもてました。

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パンプキンの感想

ニュースなどで犯人がつかまると、よく、「あんな真面目でおとなしい人が・・・」というコメントが出てきます。また、上に引用したように、校長先生や学校の教師やお坊さんや警官など、人格者でなければならないはずの立場の人がお粗末な事件を引き起こすと、「一体何を考えているのか」「信じられない」といったコメントが付きます。それはもうお決まりの反応といってもいいほどですが、しかし多重人格障害という現象を考えると、そうしたコメントの根底にある人間観は少し単純すぎるのではないかという気がします。

私たちはどんな人間であれ、絶えず他の人格からの影響を受けている存在なのではないか、彼らは油断して、その影響力に身をまかせてしまった弱い人間たちなのではないか、従って、そういったことは誰にでも起こりうることではないか、という気がするのです。

逆に言えば、どんなに悪そうな人でも(笑)、見捨てるのはまだ早いということになります。人間の心が多重的であると考えると、他人の人格をそう簡単に決めつけてしまうことはできないな〜と思います。

ところでパンプキンは最近HPにはまっていて、夜のお祈りがいい加減になりがちでした。(^_^;油断すると、すぐ自分に変化が現れてくるのがわかります。どっちみちホントに自分が霊界の誰かと交際しているのなら(笑)、どうせならよい影響を受けられるようにしたいなと思います。キリスト教徒である私の知る手段は、祈りということになるのですが・・・。

自分の中に沸いてきた悪い思いを、吟味することなく、そのまま自分のものとして一体化して、暴走したり翻弄されたりということが、パンプキンにはよくあります。(^_^;もっと目をしっかりこらして、ワンクッション置いて、少し離れたところで自分の中のさまざまな思いを見張って、しっかりと選り分けていくようになりたいなと思うことでした。

 

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