『イエズスに出会った人々(一)』

嵐が起こって船が沈みそうになっているとき、イエスは船の中で眠っていた。弟子たちがとうとう「助けてください!」とイエスに叫んだとき、イエスは波と嵐に向かって「黙れ、静まれ!」と言い、湖はおだやかになる。そのヴィジョンの後のイエスの言葉から抜粋。

なぜ私が寝ていたのか。嵐が来るのを知らなかっただろうか。いや、知っていたとも。では、なぜ眠っていただろうか。

マリア(著者)、使徒たちは人間だった。善意はあったけれど、まだまだ全くの人間だった。自分は何事もなしうると、人間は思いがちである。そして、実際、何かのことをやれる人間であれば、その自分の腕に捕らわれ、自慢したがるものである。ペトロ、アンドレア、ヤコボ、ヨハネはよい漁師であった。漁のことでは自分の右に出る者はだれもいないと思っていた。私は、この人たちにとって大なる「ラビ」ではあったが、漁師としては何の役にも立たなかったので、私が何かの手助けができるとは思わないで、船に乗ったら腰掛けているよう望んでいた。・・・自分たちの腕により頼む気持ちの方が勝っていた。

・・・眠ってしまった。しかし、そうしたのには、人間はまったくの人間で、神が助けたいというのに耳を貸さず、自分で何でもしたがる、という思いもあった。かの「霊的な聞く耳を持たない人」また「霊的な盲目」は、私にとって「自分でやり遂げたいがために」次に来る何世紀も何世紀もの自分を滅ぼすすべての聞く耳を持たない人と盲目の象徴であった。

だが、「私たちを助けてください」と、ペトロが頼みに来たとき、悲しみという苦い石が私の手から落ちた。

・・・私がこの力でいかなる悪も破壊したなら人間は、自分たちこそその良いことをつくったのだと考えるに違いない。それが私の贈り物だということや、私を思い出したりはすまい。あわれな子らよ、あなたたちは父が必要だということを思い出すために、苦しみをなめる必要がある。放蕩息子が飢えを感じたときに父親を思い出したように。

・・・あわれな子らよ、「今日の福音書」があなたたちに語っていることは、これである。

いつでも私を呼びなさい。イエズスは、あなたたちに十分愛されていないという悲しみのあまり、寝ているのである。私を呼びなさい。そうすれば、やって来る」

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『マグダラのマリア』

マグダラのマリアの兄マルタが、妹のふしだらな生活について悩み、イエスに相談する場面。

「先生、罪に漬かっている人を回心させ、よい方へ向けるためにどんな言葉をお使いになるのですか。・・・きびしいとがめの言葉でしょうか。それともあわれみの言葉でしょうか」

「私は愛とあわれみの言葉で語ります。ラザロ、これだけは信じてもらいたい。倒れた人に対しては、呪いの言葉よりも、愛のひとつのまなざしの方がもっとききめがあるということを・・・」

「そして、その愛が、かえってからかわれているならば・・・」

「それでも愛しつづけるのです。極限まで愛することです。ラザロ、あなたはうかつな者を飲み込んでしまう底無し沼のことを知っていますか。・・・その中に落ちた人はどのようにして救われるかも読んだでしょう」

「そうです。ロープとか、長い棒とか、あるいは木の枝などを投げるのです。沈みつつある人を救うために、彼が平静さを失わないようにするには、ちょっとした小さいことだけでも足りるのです。それをつかめば、もう、もがかないでもっと安全な助けを待てるでしょう」

「罪を犯した人も、表は花で覆われて下は泥沼である見せかけの土地に吸われた人のようなものです。人は自分のほんの一部でも、サタンの所有物にすることがどういうことであるかを知れば、そうする人はいないでしょう。しかし人は知らない。そして、あとで気がついた時には死の毒はすでに回ってその人を麻痺させてしまう。そして自分が滅びるという呵責を逃れるためにもがき、他の泥をつかみ、その無理なむだな動きによって他の重い泥の波を起こし、それは彼の滅びをますます早める結果になります。あなたの話しているロープ、棒、枝とは愛です。その愛がつかまえられるまで愛しつづけること・・・。一言のゆるし、罪よりも大きなゆるし、それは沈むのを止め、神の救いを待たせます。ラザロ、あなたにはゆるしにはどんな力があるかを知っていますか。あわれな人を助けようとする人を、神自身が助けに来られるように動かすのです。」

またティベリアデ湖でイエスがした説教より抜粋。

「おまえたちは、神からの召し出しの忠実な配偶者でありなさい。おまえたちは二人の主人に仕えることはできない。同時に神とサタンと床をともにすることはできない。黄金の飢えと同じように肉体の飢えを避けよ。肉体の飢えと同じように権力の飢えを避けよ。サタンはもっぱらこれを提供する。おお、彼の富は何と偽りのものか!栄光、名誉、出世、権勢、財産、これはおまえたちの魂という貨幣をもって買える猥褻な取り引きである。小さいことで満足せよ。神は、おまえたちに必要であるものを与える。これで足りる。空の鳥にこれを保障しているように、おまえたちにもこれを保障する。そして、おまえたちは空の鳥よりもずっと偉大なものだ。しかし神は、おまえたちから信頼と清さとを望む。おまえたちに信頼があったら、神はおまえたちを幻滅させない。おまえたちに清さがあれば神の毎日の贈り物で足りる。

名前としては神のものでありながら不信仰者であるな。神のようなものとみられるために黄金と権勢を望んでいる人は、神のものでない。聖であれ!そして永遠において神に似たものであるように。

譲歩を知らない頑固者であるな。皆、罪人であるから自分が他人に対して、してほしいように他人に対して同情とゆるしに満ちたものであれ!裁くな。おお裁くな!・・・侮辱されたくなければ、他人を侮辱するな。こうすれば愛徳と聖なる謙遜にそむかない。謙遜と純潔こそは、ともにサタンの敵である。他人を、人をゆるせ。いつもいつもゆるしなさい。『私の限りない罪のために、あなたにゆるされますように。おお、父よ、私はゆるします』といえ。・・・」

イエズスは実際にインスピレーションの態度をとっている。十字架の形に両腕を開いてまっすぐに立ち、顔を天の方に向けて後ろに湖の水色、麻の服に包まれて祈る大天使のようである。

またマグダラのマリアの姉マルタにイエスがアドバイスした言葉より抜粋。

「先生、彼女のために祈ってください。私は祈っていますが・・・しかし全く「すべて」ゆるすことができず、そのために神は、私の祈りを聞いてくださらないのでしょう」

「よく言った。ゆるされるために、また聞き入れられるためにまず他人をゆるすべきです。私は、もう彼女のために祈っています。しかし、あなたのゆるしとラザロのゆるしとを私にください。よい姉であるあなたは、私よりもよく彼女に話せるし、恵みを与えられるでしょう。彼女の傷は私の手にさわられるには、まだ痛々しく開いて焼くような痛みをしているから。しかし、あなたにはできます。あなた方二人の、全くの聖なるゆるしが必要です。そうしたら私は働きます。」

「ゆるします。でも、何とむずかしいことでしょう。私たちの母は、彼女の悪い生活のために苦しみで死にました。それでも今の苦しみに比べれば前の方がまだ軽かった。私は過去に母の拷問を見、それがいつも目の前にあるのです。そしてまた、ラザロがどんなに苦しんでいるかも見ています」

「マルタ、彼女は病気です。狂気です。ゆるしなさい」

「悪魔に憑かれているのでしょう先生」

「悪魔が憑くということは、サタンのさしがねによる心の病気ではないだろうか。そうでなければ人間の中に時としてみえる、ある頽廃をどう説明できるだろうか。その頽廃は、残刻さでは野獣よりも悪く、淫乱では猿よりも邪欲にする。そして、そういう人間は獣と悪魔とがまざっているものです。ある人々においての説明できない、おどろくべき奇形性を説明するのはこれです。泣かないで・・・ゆるしなさい。私は観ています。なぜなら、私には目と心よりも高い視力があるからです。私は、神の目をもってすべて見ています。そしてあらためてあなたに言う。彼女は病気だから、ゆるしなさい」

「それなら、どうぞ彼女を治してください」

「もちろん、彼女を治します。あなたを幸せにします。ただ信じなさい。強く深く。そして心からゆるし、ラザロにも、そうするように言いなさい。続けて彼女を愛しなさい。彼女に近寄りなさい。彼女が、あなたのような人であるかのように話しなさい。」

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