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今夜の番組チェック

『アーミッシュの人々』

(池田智著/サイマル出版社/1600円)

私がアーミッシュについて初めて知ったのはNHKラジオ英語会話のすきっとの中でした(笑)

現代のアメリカに、あたかも178世紀にタイムスリップしたように、現代文明をかたくなに拒否し、昔ながらの生活様式を守って生活している人々がいる!・・・電気も水道もガスもない。ラジオもテレビも自動車もない。「従順」「簡素」「純朴」「無抵抗」をモットーとし、農業を中心の生活を営んでいる。

こうしたアーミッシュたちの暮らしぶりは、ちょっとエコロジー野郎っ気のある私の心を、簡単に捉えてしまった。(笑)アメリカに行けるとしたら、ペンシルベニア州の「パラダイス」を訪れたいと思ってる。ホントはそこに住みたい気持ちもあるけど、言葉が英語でもドイツ語でもない、彼ら共同体内の独特な言葉だからどうしようもないのだが(^^;

ミーハー的な好奇心も、もちろんある。テレビの「大草原の小さな家」シリーズみたいな、素朴な生活への憧れとか。ただ本を読んだら、実際住むとなると、トイレは○っ○ん式だし(^^;お風呂はないし、それに彼らはすご〜く働きもので、おてんとさんが昇る頃には起きだして働いてるから、こんな自堕落な生活に慣れきった私にはちょっと無理かな(^^;

共同体のルールは徹底している。髪型や服の形や色も決められているし、女性は化粧することも、鏡を見ることも禁じられている。(虚栄心は悪いことと考えられているのだ)それに学問も悪と見なされている。(知識は傲慢さを生み、純朴な心を失わせると考えられている)あと、楽器を弾くことは、自分ひとりが目立つことであるから、これも御法度だ。でも今の自由で便利な生活を捨ててもいいから、彼らの共同体で生活したい、と思わせるような何かが、彼らの中にはあるような気がする。

彼らは 、アメリカ一般の「しっかりとした自我を確立する」という風潮とは逆に、「自我を捨て去る」ことに熱心である。すべては神または共同体のため、他の人のため、常に自分のことは一番最後に考えるように、幼い頃から教育されている。また、農業中心の生活であるから、家族は常に一緒にいて、一緒に働き、一緒に食事する。だから、家庭内における問題なんて、ほとんどないのだ。子供は小さいころから、家の仕事を手伝わされ、責任感や労働を愛する心が培われていく。彼らは知識よりも敬虔による知恵を重んじるから、目上の人は常に敬われる。なんだか、もしかしたら、彼らのような生活が、実はもっとも贅沢な生活なのかもしれないと、思ったりする。

彼らは一般のアメリカ人(イングリッシャー)とは一線を画し、あまり交わらないようにしているから(でも困っている人がいれば相手が誰であろうとすすんで助けてあげるのだ)私みたいなヘンな東洋人がいきなり押しかけて、「ワタシヲナカマニイレテクダサ〜イ」と言っても無理だろうから(^^;せめて、彼らの生活のよいところを見習って、取り入れることで満足しようと思う。

「速いよりは遅い方に価値を見出す」アーミッシュの生活は、なんとなく合っていそうな気がする。あとは・・・土日を抜かせば一日中働いているという彼らの勤勉さと、なによりもそのつつましさと私心のなさであろうなぁ(^_^;

『フィンドホーンの花』

感想@(1998/11/21)

この本を読むのは三度目ですが、読むたびに新しい感動があり、生きる力が沸いてきます。

「フィンドホーンとは何ですか?・・・それは、意識の状態です。その意識とは、愛、平和、喜びです。」愛と平和と喜びがよいものであることは、誰だって否定しません。ところがそれがよいものだと知っていることと、それを自分のものにすることとは全く別物であることは言うまでもありません。この本を読むたびに自分にとって必要な、あたらしい「ガイダンス」を得ることができるのは、その時々の状況で、愛と平和と喜びに不足し、それを必要としている自分があるからでしょう。

アイリーンが、シーナとの泥沼の闘いの中で、心の平和を得ていくくだりは圧巻です。私自身が母親となった今、アイリーンの視点で読み進んでゆくと、アイリーンにつらくあたり、しかも子供までさらってゆくシーナや理不尽なピーターに私も一緒に怒り狂い、なんと横暴な、狂った人たちかという思いすら沸いてきます。ところが、アイリーンが何もかも失い、神しか頼る者がなくなったとき、神が与えたガイダンスは、アイリーンの自己憐憫を擁護するものではなく、彼女が学ばなければならないレッスンのことでした。そして読みながら、アイリーンの怒りと憎しみが私自身にある周囲に対する否定的な態度とオーバーラップしていた私は、神のガイダンスがひとつひとつ心にしみたのです。

「欠けているものを嘆くかわりに、自分が今もっているものに感謝すること」アイリーンは愛する子供を奪われてすら、神を第一としたとき、心の平和を得たのです。「完全なる自由を達成するためには、”手放し、神にゆだねる”という言葉を完全に生きなければなりません。」また「敵はあなたを混乱させることができると、大喜びします。あなたが混乱すると、私はお互いから切り離されてしまうからです」この”敵”とは、人間の心の中に住むネガティブなもの全部、または人々の心を知らぬ間にむしばみ、落ち込ませたり孤独に陥れたりする、邪気のようなものらしい、とアイリーンは言っています。私自身、日常を振りかえると、いかにこの「敵」にむしばまれやすいかということをつくづく思っています。その渦中にあるときは、その否定的な感情が敵だと気づかないばかりか、唯一の考えのようになって自分を支配してしまうのです。そんなときは、ともかく祈ることだ、その思いを一旦手放し、神にゆだねることだ、ということを改めて学んだ思いです。

私はこのアイリーンのように、言わば不倫をし、夫を裏切り、子供を捨てて出てゆき、その愛人にもほったらかしにされて愛人のもと妻にいじめられ、子供をさらわれるといった悲惨な状況とは無縁の、一見幸せな生活をしています。しかし、心に否定的なものが巣くっているうちは、どんなに幸せな環境にあっても、その恵みに気づくことなく、否定的な面ばかりを数え、悩むようになってしまいます。

「神は、もっともいがみ合い易い者同士を、わざと近くに置かれるようにされる。それは、いつもは底に沈んでいる泥をかきまわすと一見澄んだ水が濁ってくるように、そうすることで、私たちの心にある醜い否定的なものがあらわになり、より神を求めて浄化されるためである」ということを教会で教わったことがあります。シーナはアイリーンを鍛練してくれる存在だったのでしょう。そしてその法則を知っていれば、私たちはどんなに生きやすくなるでしょうか。

この本を読んだ人の中には、ここに登場する「神」が普遍的な神とは思えない、と批判的な見方をする人もいるでしょう。神という崇高な存在が、一ホテルのペンキの缶をひとつ注文するように、アイリーンに指示したりするだろうか?と。でも、私には神がそんな方であることが、これまで見聞きし、体験したことからもわかります。マリア福音姉妹会に働かれた神は、昼食のきゅうり一本のことまで目を配ってくださる方でした。「私と絶えず交信しなさい・・・私のやり方は人のやり方とは違います」どんなに小さなことでも、すぐに神に相談すること。フィンドホーンはキリスト教というわけではありませんが、聖書に書かれている神も、まさにそんな神なのです。「あなたがたは、私を離れては、何ひとつできないからです。・・・人は天から受けるのでなければ、何も行うことができません」と。そしてマリア・ワルトルタの神も。私が知る限り神は、野のゆりも空の鳥も養ってくださり、一羽のすずめも許しなくては落ちることがない、すべてにおいて心を配ってくださる方なので、アイリーンの心の声は、普遍的な神の声だと確信しています。

苦しいとき、辛いときは、もちろん祈ることが第一ですが、祈ることすら忘れているがゆえに苦しんでいるとき、この一冊は非常に励みとなることでしょう。

感想A(1995/12/15)(初めて読んだときのもの)

途中ちょっと開いてしまいましたが、読み終わりました。これは、まぎれもなく今年のベスト作品です。

これまでの「知的興奮」とはまたひと味ちがった興奮というか、大きな揺さぶりをかけてくれた本でした。「この一冊が私の人生を変えた」と言っちゃぁ大げさかなあ。少なくとも「私の生活を変えた」または「私をあるべき生活に引き戻してくれた」ぐらいは言ってもいいでしょう。()

ちょっと前に、『フィンドホーンの魔法』という本の感想を書きましたが、あれはフィンドホーン共同体を訪れた有機農業関係のジャーナリストが書いたもので、やはり外部の人が書いたらしく、その現象・・・奇跡的な作物が興味の対象の中心を占めていたという感がありました。

が、この本は、共同体の中心人物ともいえるアイリーンという女性(神から直接「ガイダンス」を受けているとされる)の自叙伝で、そうしたフィンドホーンの外面的な奇跡については一切触れられていないといっていいくらいで、思想的なものが色濃く現れていて、読むならゼッタイこっちの方がおススメです。

内容としましては、アイリーンという、これといってとりえもなく、人間的欠点も人並みにあるごく普通の女性の自叙伝で、その中にフィンドホーンを作っていく経緯も書かれているのですが、いたるところに「ガイダンス」による、人生を生きる知恵のような言葉がちりばめられていて、非常に感銘深い本です。

人生に対する勇気、積極的な姿勢・・・これが、これが、この本が与えてくれるものです。

人生はすべて「学び」であること。どんなに無駄なこと、損なことと思われることでも、全体として無駄なことはひとつもないこと。この世を生きるということすなわち、人生から学ぶということなのだということ。それから、将来のことを思いわずらうことなく、人生の一瞬一瞬を生きること。・・・その他、人間関係面、生活面、信仰面など、大事な言葉や教えに満ちています。

まぁ、これに類する言葉はこれまでも目にしてきたのかもしれません。でも、この本を読むと、アイリーンの人生を通して、読者も彼女と共に、人生の「学び」を体験し、知恵を得ることができるようになっています。(疑似体験でしかないでしょうが)

人間の内面的成長というものを中心にすえており、「よ〜し、今から、精一杯生きるぞぉ〜っ、困難?カモ〜ンっ」ってな気持ちにしてくれ、さらにそのためにはどうしたらよいか、具体的に、簡潔にわかりやすく書かれているのがよいです。

「一回ずつレッスンを学び、それを応用して前へ進むのです。仕事はたくさんあります」まぁ私があれこれ書くよりも、興味のある方は読んでいただいた方が早いでしょう。

ひとつだけ、この本の中身でずっと心にひっかかっていたことがありました。それは、アイリーンがこの働きのために、外見的には夫と子供を捨てて愛人と家を出る形になっているということです。それから最後にはその愛人すらも彼女から去っていってしまう。もちろん、実情は、そんな言葉では言い表せない、もっと深い理由があるわけなんですけども、古典的な教育を受けている私としては、最後まで抵抗あった部分です。

しかし、終わりの方まできて、目からウロコが落ちたような場面がありました。そして、なぜ、世間から見れば「彼女は悪魔の声を聞いている」と誤解されかねないような経緯をたどらねばならなかったのか、なんとなくわかったような気がしました。

この新しい時代(ニュー・エイジ)の中心的な思想は、道徳ではなく「愛」であり「許し」であり「和解」なのです。あらゆる見解の相違、教義を超えて存在するひとつの思想を生み出す過程として、彼女が世間から軽蔑され、非難される経緯をたどっていることが新しい思想の象徴であるかのように思われました。

そして、聖書について、アイリーンの息子が語っていた言葉が心に残りました。「聖書は多くの真理を含んでいますが、同時にたび重なる解釈によって汚されています。聖書の影響下で育てられると、聖書から学んだパターンを打ち破って、自分の内へと目を向けなければならない時が、いつかやってきます。これは頑固で伝統にとらわれた人々にとっては、とてもきついプロセスです。・・・聖書に背を向けずに、聖書の中の木を見るのではなく、森を見て真理を探し出すことができるのです。・・・僕たちは内なる聖書を見つけださなければならないと思います」

私には、アイリーンの生涯はまだ謎に満ちた部分が多すぎますが、しかしアイリーンを批判する自分と、「愛は勝利する」とのアイリーン自身との言葉がぶつかり、私も自分のパターンを打ち破らなければならないのだろうということを感じました。

『フィンドホーンの魔法』

私がこうした真面目な超常現象が好きなのは、なにもオカルト好きだからではありません。けっこうこれまでも、この手の本を読んできましたが、いずれも思想背景のある、ポジテヴィブなものに限ります。(黒魔術には興味ないよ〜ん)

いくら寒風の吹きすさぶ、植物なんか育ちっこないスコットランドの砂地に驚異的な作物が育とうと、思想背景がなければスプーン曲げやMr.マリックやサイババさんとなんら変わりがないですからね。(あっマリックさんとサイババさんを同列に扱ってはいけなかった?(^^;)

こうした、人知を超えたパワー()が、同じ源から発しているのであるならば、必ずや、その背景にある思想には、共通点があるはず。その共通する思想には、傾聴に値する真実のひとかけらが含まれているはず。そんな期待を込めて、こうした本に手を出しております。()

実はフィンドホーン共同体というのは、ニューエイジと呼ばれる宗派のようです。で、以前『神の現実』という、ドイツの共同体における現代の奇跡の本を読んだのですけども、思想的に違う宗教にも関わらず、はっきりとした共通点があるのには感心しました。それは、ありていに言えば「積極的思考」、宗教的な表現で言えば「祈りの実現の法則」・・・すなわち、必要は完璧にかなえられるという完全な信仰であります。この共同体の人々の辞書に「もしも」という文字はないのです!人は誰でも、より偉大な意志のために自己を忘却し(つまり個人のエゴを放棄し)ただ現在に生きようとするならば、あらゆる必要は満たされるというのでした。何事も自分のために求めないことで、すべてのものが与えられるというパラドックスがここにはあります。具体的には年金計画や生命保険はもちろんのこと、財政計画すらも存在しない共同体なのです。

もうひとつ、もちろん、共同体の調和、「一人は他の一人とすべてを分かち合い、実に仲良く、一緒にやっている」という点でも共通しておりました。

・・・と、ここまでは、まぁある程度予想可能な範囲だったのですけども、しかしこの本のショッキングなところは、これからなのでした。()私は「ふむふむ、植物に愛情を注ぎ、声をかけてやることで作物はよく成長するのだな」くらいの先入観で読んでいたのですけども、ぬあんと、声をかけていたのは、人間の方ではなく、このフィンドホーンでは、植物の方で、人間に声をかけていたのです!この本では「ディーバ」と呼んでおり、まあ天使のようなものだと書かれていますが、植物に生命エネルギーを注いでいる存在と共同体のメンバーが交信することで、「もっと水をやりなさい」とか「○○の肥料をやりなさい」と、植物側からのアドバイスを受け、それに従って、栽培していたのでした。

「ふむう、これはすごい」とか思いながら先を読み進むと、もっとすごいことが待ち受けていました。()今度は牧神(パン)や精霊、妖精などが登場するのです。「あれ?これってファンタジーじゃなくて、確かノンフィクションだったよね?」と思わず思ってしまいましたけど(笑)どうやら、そういう存在が目に見え、交信する能力のある人がいて、彼らの助けを借りてフィンドホーンを作り出していたのでした。

ま、「え〜、いくらなんでも」と半信半疑で読んでいましたけど、その「自然の精霊たち」の主張を読むにつれ、なんだか「ホントにいるのに、鈍化して物欲に目がくらんだ私たちには見えないのかも」とか思えてきてしまいました。彼ら(自然の精霊たち)は「文明とはひとつの終わりなき大災害である」と言い切ります。生命はひとつの全体であり、調和こそが宇宙を通じての法則である。人間はこれ以上自然を破壊してはいけない。さもないと全体が存続できなくなってしまう、と。

この「自然の精霊たち」は座敷わらしみたいで(笑)彼らが逃げていくと、もうそこの植物は虚弱になってしまうのです。そして今や人工的な農園から、どんどん撤退が進んでいるらしい。フィンドホーンでは、「ディーバ」の声を聞く者と、「自然の精霊たち」の声を聞く者がいて、その両者プラス人間が協力しあっているひとつの実験地なのでした。・・・とにかくノンフィクションだけに面白かったです。私にも、その気さえあれば、自然が語る言葉を聞くことができるのだろうか?とわくわくしました。

長いのに蛇足ですが(^^;ドイツのルドルフ・シュタイナーもこれに似た思想を持っているらしいです。シュタイナーってシュタイナー教育の人ですよね。それでエンデはシュタイナー学校を卒業してるんですね。思想的に影響してるはずです。なんか、こういう思想って、きっと根本ではつながってるんだろうな。