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南イタリアのカゼタで、愛情あふれる父と、きびしく変わった気質の母親のもとに生まれる。母の干渉で結婚話が二回とも実らず、愛することなしに生きることが考えられなかった彼女は人間の愛情のはかなさを知って、最大の愛である神への信仰に入る。 1917年、第一次世界大戦時にボランティアで看護婦になり、フィレンツェの軍病院で下級兵士の世話をして献身的に働いた。 1920年、突然、後からついてきた子供に、ベッドからとった鉄棒で力いっぱい背中を打たれるという事件に遭い、それから心身ともに苦しむこととなる。1933年からはもうベッドから起きることはなく、死ぬまでの28年間病人生活を送る。1931年には神に自己を献身している。 病床の間、「神と人なるキリストのポエム」という、ノート1万5千ページにもわたる原稿を何の推敲もなく、4年間の間にしたためる。この著作について、彼女は「天からヴィジョンを与えられ、それを書き留めたもの」であって、自分は神の手の「ペン」または「道具」として書いたにすぎない、と明白に主張している。 1961年、65歳でこの世を去る。 彼女の著作では、イエスの生涯、すなわち聖書の福音書が映像のようにあざやかによみがえり、人物が語り、現代人に改めて生き生きとした福音を聞かせてくれる。その仕事は自然的に説明できないものであるともいわれ、教義と文学の記念碑として認められている。(日本では全国学校図書館協議会選定図書にもなっている) |
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イエスはワルトルタ女史にこう語ったとしるされています。 「今の人間は、ことばを聞くのに慣れて、疲れるだけである。そのため私は私の福音のヴィジョンを与え、これをもっとはっきり、もっと魅力あるものとするために説明している。あなたに「見る」という慰めを与え、そして皆に私を知る、という望みを与えようとする。」 すなわち、もし信じるならば、これは神から現代人のために直接与えられた、新しいキリスト伝なのです。そしてこれが人間業ではなく、神からのものであることを裏付けるようなことがいくつかあります。 この1万5千ぺージにわたる著作は、4年間の間に、前もってなんの計画もなく、下書きもなく、また専門家の助言もなく、ただ聖書と聖ピオ十世の教理の本のみを使って推敲なしに書かれました。ヴィジョンはその時々でランダムに書かれ、あとから時間順に従って編集されました。 著者はイタリアから一歩も出たことはなく、パレスチナに旅行したこともないのに、非常に詳しくまた正確にその時代のパレスチナの細かいところまで詳細に描いており(当時の地図を作るには専門家もかなり苦労している)、専門家の調べではそれが正しいことがわかってきています。また彼女は歴史、地理、考古学、人類学、哲学、聖書学、神学などに関して特別な研究は何もしていないのに、これらの分野と関係のあるデータを正確に述べています。それゆえ批評家に、著者の知力、記憶力、学識、根気、またすべての霊的資格を考慮に入れても、この本を全くの人間的産物とするには説明しきれないと言われています。そしてその著作は学識で書いたものというよりは、目撃者、聴取者のそれとなっています。(『マグダラのマリア』の邦訳刊行にあたっての紹介文より) 編・訳者のフェデリコ・バルバロという聖書学者・司祭も、最初この本のことを耳にしたときは、こうした神がかった話にある種の偏見や反感を覚えたけれど、実際に読んでみて、急いで残りの全巻を注文したという経緯を告白しています。 |
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日本では、あかし書房と天使館から出版されています。(天使館は最近)あかし書房はテーマ別にビジョンが収録されているのに対し、天使館のものは福音書の出来事の時間順に収録されているのが特徴。 ●あかし書房のもの 『聖母マリアの詩(上)』(フェデリコ・バルバロ訳編/あかし書房/2500円以下値段以外同じ) 『聖母マリアの詩(下)』(2500円) 聖母マリアの父母が子供が授かるようにと神に願うところから、マリアの少女時代、そして結婚、母になって、天に召されるまでのヴィジョンを集めたもの。聖母マリアの聖徳、人格、気質、活躍の表現は素晴らしいものです。 『イエズスに出会った人々(一)』(3000円) 『 イエズスに出会った人々(二)』(3000円)↑クリックするとパンプキンが勇気づけられた好きな場面の引用が出てきます。 『イエズスに出会った人々(三)』(3000円) 『イエズスーたそがれの日々』(3000円) 『受難の前日』(2500円) 『イエズスの受難』(3000円) これらはイエスの生涯のヴィジョンです。特に聖書では短い1〜2文に要約されているイエスの説教や話が、実際その場で聞いているように話したままを聞き取って書かれているのが素晴らしいです。 『 マグダラのマリア』(3000円)↑クリックするとパンプキンが感動したイエスのセリフが出てきます。 七つの悪霊に取り付かれていたと言われ、回心してからイエスを母マリアの次に愛した女性と言われる、マグダラのマリアの生涯。悪に強い者は善にも強いと言われる通り、その激しい気質は何者をも恐れない勇敢な信仰となってゆきます。 『復活』(3000円) イエスの復活の朝と弟子たちへの出現、イエスの昇天、聖霊降臨などが収録されています。
あかし書房 〒166 東京都杉並区成田西3―9―22 (03)313-4014/ FAX(03)311-9359 振替東京1-111231 ●天使館のもの 『私に啓示された福音』マリア・ヴァルトルタ現在第一巻が出版中。768ページ、4,730円。 天使館のホームページはhttp://homepage.mac.com/tlig/tenshikan/top.htm |
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クリスチャンで、生身のイエス様に会いたいと思わない人がいるでしょうか。また、実際にお話を聞きたいと思わない人が。 現在でも、祈りによって内なるキリストに出会うことができます。しかし二千年前、じかにイエスを見た庶民は、イエスが伝統的な司祭たちに批判される新興宗教の教祖だったにも関わらず、その人となりと言葉から輝き出るものにどうしても惹かれ、なにもかも捨ててついて行ったのです。それだけ、この世の司祭たちとは全く違う清らかさ、また愛のオーラが、イエスから発せられていたに違いありません。その場にいてイエスの姿を見、その雰囲気を感じとり、説教をじかに聞いた人々は、理屈ぬきで「この方は神の子だ」と「わかった」に違いないのです。 この「精神世界2めぐり」にとりあげただけでも、(もし信じるならばですが)神はいろいろな人たちを通して、人々を真理に導こうと働かれていることがわかります。そしてこのワルトルタ女史の著作も、20世紀に生き、信仰に迷いがちな私たちへの神からの贈り物なのではないかと、私は思っています。 イエスが直接語った言葉が聞ける。行動や言葉の端々から、クリスチャンの倣うべき模範であるイエスが、どんな方であったのか、感じとることができます。それは素晴らしい贈り物です。 最初に読んだのは「イエズスに出会った人々(一)」でしたが、全身らい病にかかり、(全身が腐っていく恐ろしい病気で、触るとうつるらしい)人々に石を投げつけられて殺されるのを避けるため、おどおどして隠れて暮らしている人が登場します。「どうか私を殺さないでください、私を憐れんでください」と遠くから叫ぶらい病人。イエスはどんどん近づいていきます。「それ以上近づかないで、うつりますよ」とらい病人は叫ぶのだけど、イエスはそれにかまわず、近づいていって病人を抱きしめるのです。らい病人は感動のあまり泣き出します。・・・私も読んでいて涙がとまりませんでした。イエス様ってそういう方なんだ。聖書にもその記述はありますが、臨場感を伴って具体的な記述があって読むと、イエス様がどんな方であるか、すごくよく伝わってきます。 本当に、なんの取り柄もないつまらない者、みんなの嫌われ者、ひねくれ者、孤独なもの、犯罪者、触るとうつる病人、そういう友なき者たちの心の友となってくださり、決して傷付けない方。いかなることも許す方。自分を殺そうと企む、何度も愛を裏切る欲深い傲慢な男のために涙を流す方。 子供の頃、聖書のお話を学んでいた私は「イエス様って堅苦しいし、悪いやつにやられっぱなしで軟弱な男の人みたい」ととんでもないことを考えていました。(笑)しかし、大きくなるにつれ、また世の中に出てゆくにつれ、イエス様の無垢な人柄とその教えが、弱い者や能力のない者は価値なきものとして軽んじられる、効率第一の世の中にあってどんなに得がたい、特別なものであるかを感じるようになってきました。 会社に、あるいは学校に、病院に、このような方がいたら・・・想像するだけで、いかに殺伐とした世間のオアシスとなるかがわかります。また私たちを時に感動させる素晴らしい人々も、その人々の内にあるキリスト(名称は何であれ)が私たちを感動させるのだと思います。讃美歌にもありますが、「シャロンの花、イエス君よ、汝が香り放ちたまえ。我が言葉、行いみな、なれのごとくになるまで」ということを、願うパンプキンでした。(^_^; ワルトルタさんの著作が本当に天からのヴィジョンであるのかどうか、それを信じようと信じまいと、この著作のイエス、またマリアさんの人柄に触れられることは素晴らしいと思います。聖書やイエスに関心のある人にはお薦めです。 |
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